2-2 神田の蕎麦屋・・・老舗の競争戦略

老舗にイノベーションは必要か?という問いには「もちろん必要」というのが一般解です。
ところが、老舗がその古さを十分に生かしきれていないというのが多々見受けられます。「古さを見つけ出して、それに磨きをかけ、芸術の域に高める」ことも老舗の競争戦略であるということが忘れられています。

 

神田に古い蕎麦屋があり、いつ入っても客で賑わっています。
神田の蕎麦屋は「古さ」を主張しています。
大正時代に建てられた木造の店舗は都選定歴史的建造物に指定されているほどです(注1)。(残念ながらその後火災にあっています)
いまだに当時の面影を残すテーブルやお膳、椅子は清潔ではありますが、いかにも使い込まれています。
蕎麦を注文すると「せいろ~にまい~~、ちょこつき~~」と、語尾をのばす、独特のイントネーションで厨房に注文を通します。
客単価、客の回転数から推測すると収益性は相当高く、鉄筋の豪華なビルも建ちそうに思われるのですが、この蕎麦屋には、自動ドア、豪華な内装は無用です。
この蕎麦屋に変える点はどこにもありません。
メニューを増やす必要もないですし、減らす必要もありません。
味を良くする必要さえもないのです。

競争曲線で見てみましょう
神田の蕎麦屋の方が価格はべらぼうにとまではいきませんが高めです。
スピードも駅蕎麦のように注文してすぐに出てくるわけではありませんが、忘れたころに出てくるといった、どうしようもなく遅いレストランのようには客を待たせません。
味は?そういえば、かなり以前ですが長野駅で食べた駅そばの味は最高でした。
先日、次数十年ぶりに食べてみましたらごく普通のそばになっていました。
別に味が落ちている訳ではないのでしょうが、美味しいものを食べ慣れたせいでしょうか?
蕎麦でもうどんでも味にこだわる美味しい店が増えたからかもしれません。
名古屋駅の新幹線のホームのきしめんも、以前はわざわざ下車して食べたのですが、いつの間にか普通のきしめんになっていました。
ブラインド・テストをすれば神田の蕎麦屋が一番になるとは限りません。

しかし、古さは?
競争曲線でみるかぎり、神田の蕎麦屋の強みはその骨董的な古さで、顧客がその古さを支持しているということなのです。
この創業してからの時間の経過、古さは新規参入の蕎麦屋が絶対に追い越すことができません。
注目すべき点は、圧倒的な強みである「古さ」で駅そばに対して垂直攻撃も水平攻撃も出していないという点です。
(つまり競争しないという競争戦略です)
古さという競争資源でブランドイメージを築き、駅そばが模倣のできない防衛ラインを築いています。
蕎麦のように、細く長く続く忠誠心のある顧客の支持によって競争から解放されているのです。
もし、他の蕎麦屋がこの蕎麦屋と全く同じ味で新規に店を出しても、これほど顧客の支持を得ることはできないでしょう。
店全体が蕎麦を盛る上質の「せいろ」となっており、顧客は店の雰囲気を味わいに来ています。
もし、蕎麦そのものの味が同じでも、プラスチックの「せいろ」に盛られた蕎麦とは格段に味が違います。
この神田の蕎麦屋の競争優位性を模倣するのは無理というものです。
もしも模倣しようとするならばタイムマシンで過去にさかのぼって同じようなことをしなければならないのですから。

この神田の蕎麦屋のケース(「安定の理論」)は「究極の」時間圧縮の不経済の例です。
時間圧縮の不経済については次の文章参照を参照して下さい。

独自の歴史的条件(unique historical
conditions)
企業が非常に低いコストで特定の経営資源の調達.内部開発を可能にする理由として、ある歴史的要因が関わっている場合がある。すなわち、企業が特定の資源を獲得、開発、活用する能力というのは、しばしばその企業が「いつどこにいたか」に依存する。いったんその時点や歴史が過ぎ去ってしまうと、その獲得が空間と時間に依存する経営資源を持っていない企業は、著しいコスト上の不利にさいなまれることになる。
なぜならば、その経営資源を獲得するには過ぎ去った歴史をもう一度再生しなければならないからである。戦略研究家であるデイレックスとクールは、この種の経営資源には時間圧縮の不経済(time
compression diseconomies)が存在すると指摘している。
(企業戦略論[上] ジェイB.バーニー著 岡田正大訳 ダイヤモンド社 2003年12月
p259)

「安定」の戦略を形としてみる
この競争曲線の形状がいわゆる「老舗」に共通して現れる形状です。
競争曲線を描いてこの形が現れた場合に限り、何もかも変えないことをお勧めします。
世の中、変化変化と変化の連続で、何か変化しなければ変化に追いついていけないという恐怖観念にかられます。
このような変化する環境の中で、恐怖観念に打ち勝って「変化しない」と決断するのは難しいものです。
しかし、次の要件を満たすような場合には「変化しない」、つまり意図的に競争を仕掛けるようなことはしないということがベストな選択となります。
① 現在利益が出ている
② 強力なブランドイメージが形成されており、その形成に「古さ」が関わっている
③ 将来(たとえば今後百年)にわたり売上の減少が見込めない
・・・・このような事業があるのでしょうか?・・・。
お寺の門前の桜餅、串団子、おせんべい、地方の土産物、気を付けてみると結構あるものです。

このような業者は成長戦略も狙わない方がよいでしょう。
供給を制限した方が希少価値は増します。
2008年5月にある高級料亭が廃業に追い込まれました。
直接の廃業の原因は客の食べ残しの「使い回し」と「食品偽装」ででしたが、この料亭は、高級料亭にしては珍しく、多店舗展開をしていました。
多店舗展開がこの事件の遠因であるような気がしてなりません。
神田の蕎麦屋がチェーン展開すれば、駅蕎麦と競争するはめになり、ブランドイメージを自らの手で傷つけることになるでしょう。

(注1)東京都都市整備局
HPhttp://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kenchiku/keikan/rekiken/re_list13.htm
最終アクセス09年6月)