5-2 トレードオフと集中・・・経済学の観点からの再考

トレードオフや集中戦略は経営学の用語ですが、経済学でこれに似たような概念「分業」や「比較優位」は200も年前からあります。
このように主張する経営学者を見たことがありませんが・・・経営戦略論を経済学(や他の学問)との関連で見ると理解が深まります。

ここではポーターの基本戦略である集中戦略を戦略論の周辺科学である経済学との関連で見ていきます。
戦略論に「トレード・オフ」という概念を持ち込んだのはポーターですが、「トレード・オフ」の起源もみてみます。ひょっとするとアダム・スミスの「分業」までさかのぼれるかもしれません

マイケル・ポーターのポジショニング・アプローチは経済学の産業組織論を経営戦略論に持ち込んだとうことは知られていますが(競争戦略論 青島矢一 加藤俊彦著 東洋経済社 2003年3月 p47)、「トレード・オフ(二者択一)」や「集中(経済学では特化)」といった、経済学(特に貿易論)の常識も戦略論に持ち込みました。

余談
ポーターの構造論的(ポジショニング・アプローチ)利益をシュンペーター的レント、バーニーの資源論的(資源アプローチ)利益をリカード的レントといいます。(資源ベースの経営戦略論 デビッド・J・コリス シンシア・A・モンゴメリ著 根来龍之 蛭田啓 久保亮一訳 東洋経済社 2004年9月 p64~67参照)。
しかし、ポーターはトレードオフ、集中戦略に関してアダムスミスやリカードの理論を戦略論に持ち込んでいる(かもしれない)ということに気が付きます。

 

「コスト・リーダーシップ」「差別化」「集中」の三つはポーターの基本戦略です。
ポーターは「コスト・リーダーシップ」と「差別化」は「トレード・オフ(二者択一)」、つまりあちらを立てればこちらが立たない(例えば低コストで高品質は成り立たない)という関係にあると主張しました。
そして、企業は何でもかんでも手を出すのではなく、特定の顧客、特定の地域、特定の流通チャネルなどに「集中」して、「コスト・リーダーシップ」や「差別化」を図った方がより効果的であるとしました。
これを「集中戦略」といいます。
(ここで、「集中戦略」も「拡散」か「集中」かの「トレード・オフ」の上に成り立っているということに注意して下さい)

「コスト・リーダーシップ」戦略と「差別化」は通常はトレード・オフの関係にあるのですが、「集中戦略」がうまくいくと、「コスト・リーダーシップ」と「差別化」を双方とも達成できたりもする、といっています(競争の戦略 M・E・ポーター著 土井坤 中辻萬治・服部照夫著 ダイヤモンド社 1982年10月 p61)

経済学には200年前からこれに近い考え方、「比較優位」と「特化」という考え方があります。
生産者には資源(人、土地、資金)には限りがあり、消費者も使えるカネは有限ですので、どのような財を生産し、どのような財が消費されるのかといことは、経済学のもっとも重要な課題です。
国際経済学(貿易論)を学ぼうとすると「比較優位」という概念は絶対に避けて通ることはできません。

貿易ではピンとこないかもしれませんので、アインシュタインとタイプピストで説明します。分かりやすいように、それぞれの能力をポイント(P)で示します。

アインシュタインは相対性理論を発見した大数学者ですので、数学的な能力は10点満点で最高点の10Pでしょう。
実際にそうだったかは全く不明なのですが、アインシュタインはタイピングが得意で、しかも並のタイピストよりも速く正確にタイプできたとします。
アインシュタインのタイピング能力を6Pとしましょう。

アインシュタインの能力
数学的能力    10P
タイピング能力  6p

アインシュタインの秘書は、時間の進み方が、速度や質量に影響を受けるという、訳のわからない理論を取りあえず理解することができます。数学的素養はあるのですが、比べる相手がアインシュタインですので、数学的能力は相対的に低くなりますので2Pとします。
この秘書のタイピング能力は4点で、まあ普通の速さです(プロのタイピストのタイピングを見たことがあるでしょうか・・・ものすごい速さで打ち込んでいきます)。

秘書の能力
数学的能力    2p
タイピング能力  4p

数学的能力もタイピング能力もアインシュタインの方が上ですので、アインシュタインは秘書に対して「絶対優位」があります。
ところが「数学的能力:タイピング能力」の比率で見ますと、アインシュタイン「10:6」、秘書「2:4」で、アインシュタインは数学が得意で、秘書はタイピングが相対的に得意なのが分かります。
このようなとき、アインシュタインは秘書に対して「数学」で比較優位を持っている/秘書はアインシュタインに対して「タイピング」で比較優位を持っている、といいます。

アインシュタインと秘書がどのような仕事をしたときに社会への貢献度が最大になるでしょう?
・・・「そりゃ~アインシュタインが数学研究に専念し、タイピングは秘書に任せる、に決まっているよ こんなの直感でわからなければね!」

直感的にわかる、というか直感的にわかるような説例にしてありますので、直感どおりにアインシュタインが数学に「特化」し、秘書がタイピングに「特化」したときに社会への貢献度が最大になります。
・・・ポイントで見てみましょう。

数学 タイピング
アインシュタインの貢献 10 0
秘書の貢献 0 4
  合計 14

ちなみに、双方が数学とタイピングに従事したとします。
アインシュタインは5Pの数学的貢献を放棄して(これを機会費用といいます)、3Pのタイピングをこなさなければなりません。
一方、秘書は1Pの数学的貢献を放棄して、2Pのタイピングをこなすことになります。

数学 タイピング
アインシュタインの貢献 5 3
秘書の貢献 1 2
  合計 11

最悪はアインシュタインがタイピングをして、秘書が数学に専念するときです。

数学 タイピング
アインシュタインの貢献 0 6
秘書の貢献 2 0
  合計 8

アインシュタインと秘書の関係は社内でもあてはまります。
会社でも販売員によって売上が倍増したり、半減したりすることがあります。
保険会社の経営者によれると、販売員によって十倍以上の差がつくこと稀ではありません。
Aさんは販売能力抜群で、しかも常識に反して事務能力もかなりあります。
Bさんは販売がダメなのですが、事務能力はAさんほどではないにしてもそこそこあります。
「アインシュタインと秘書」同様に会社への貢献能力をポイント(P)で示します。
Aさん
販売能力 10P
事務能力  6P
Bさん
販売能力  2P
事務能力  4P

AさんはBさんに対し絶対優位を持っていますが、Bさんは事務能力でAさんに対し比較優位を持っています。
・・・もうお分かりだと思いますが、Aさんが営業に専念し、Bさんが事務に専念したときに会社への貢献度が最大となります。

この「比較優位」という関係を国レベルで見てみましょう、というのが経済学です(というよりは元々国際間の貿易の理論です)。

この「比較優位」という概念を、初めて唱えたのはイギリスの経済学者デヴィッド・リカード (David Ricardo 1772-1823)です。
それまでは、国内で生産できるものは何でもできる限り国内で生産し、余ったものを輸出して、足りないものを輸入するという考えが基本でした。

リカードは、羅紗作りの得意なイギリスは羅紗作りに専念し、ワイン造りの得意なポルトガルはワイン造りに専念して交易する方がそれぞれの利益になると主張しました。

日本は天然資源を持たない上に、国土が狭く、しかも日本地図を見るとお分かりのように有効面積が少なく、土地集約的な農業には比較優位はありません。
しかし、狭い国土に1億人と人口はそこそこありますので労働集約的な工業には比較優位がありました。
比較優位の観点からはアメリカは農業に特化し、日本は工業に特化した方が双方の利益になります。
国防や景観、食品安全の話は横に置いておいて・・・「日本は労働集約型の工業に特化せよ!!」・・・これが日本の工業化の理論的根拠です。

これを企業間競争に当てはめ、ちょっと変形すると次のようになります。
イギリス社は羅紗作りに集中すると、さまざまな羅紗製品を生産することができるようになり(差別化)、羊の飼育が効率的になったりしてコストも安くなります(コスト・リーダーシップ)。
品種改良により良質の羊毛が大量に収穫されるようになれば、この動きはますます加速されます。
ポルトガル社はワイン造りに集中すると、特徴的で良質のワインが生産でき(差別化)、さらにコストも安くなります(コスト・リーダーシップ)。

集中戦略にはこのようなメリットがあるのですが、ポーター以前の戦略論というか企業家の常識は、儲かりそりそうな分野に際限もなく手を出して、たくさんの事業や異なる事業内容の会社を経営することでした。

次の図はアンゾフの成長マトリックスです。
図を良く見て下さい。既存市場・既存製品=市場浸透に留まっているよりも、新規市場・新規製品=多角化に乗り出した方がロマンに溢れているでしょう?

アンゾフが1965年に発表したこの理論は、ただでさえ新しいもの好きの、企業家のフロンティア魂に油を注ぐくとになりました

映画や小説のいたるところに、多角化により巨大化したした企業が登場しています。
バイオハザードのアンブレラ社、エイリアンのウェイラン・ユタニ社
、バットマンのウェイン・エンタープライズ社・・・あまりイメージがよくないですね・・・

多くの企業が多角化に乗り出し、多くの企業が多角化に失敗しました。鉄鋼メーカーがウナギの養殖や、タラの芽の栽培に乗り出しても成功する訳がありません。

多角化の裏にあるのは拡散です。
ポーターはカビの生えた経済理論から「集中」を見つけだして、戦略論に導入したのです(・・・私の想像ですが、リカード理論と似すぎていますので、たぶん間違えないでしょう)。

ポーターは「何かをする」という意思決定も重要ですが「何かをしない」という意思決定も重要であるとしています。
何かをしない」つまり「何かを積極的に退化させる」ことにより、企業戦略はより明確になるのです(・・・ポーターによれば・・・です)。