2-3 経営戦略論の統合・・・統合の方法

経営戦略論を統合するといっても、一体どのように統合したらよいのでしょう?
いままでに戦略論を並べ上げたり、分類するという試みはありましたが、誰も経営戦略論を統合したことがありませんので、どのような状態が経営戦略論が統合された状態かということから考える必要がありました。
そこで考え付いたのが、経営戦略論を一つ上のシステム(系)と関連付けるという方法です。

下のアルタミラ風の絵は、何と、象です。

2-3-1%e3%80%80elephant-the-integration-of-the-strategic-ideas-%e5%83%8f%e3%80%80pp

さて、戦略論を統合するといっても、元来統合的な事象を、どのように統合したらよいのでしょう。
「理論の統合」ということを改めに考えますと、どのような状態が統合された状態かという壁にぶつかります。
統合というのは「分断されたモノをまとめ合わせること」というのは分かります。
市町村でしたら合併すれば統合は完了です。
しかし、理論をいくら並べても、それは羅列にすぎません。2×2のマトリクスに綺麗に収めても統合されたことにはなりません。
なぜなら、2×2のマトリクスは(再度いいますが)理論を統合する手法ではなく、理論を綺麗に分断する手法だからです(だいたい事象が4つしかないというのも不自然です)。

 

誰も戦略論を統合したことがありませんので、統合の仕方から考えなければなりませんでした。
あれこれと考えているうちに、いつのことだか忘れましたが、理論の統合というのは
①サイモン風の「全体と関連付ける」、
②アインシュタイン風の「事象に共通の原理なり法則を見つける」(と私が感じる)
の2つがあるのに気が付きました。
ここではサイモン風の「全体と関連付ける」つまり「下層のシステムでの個別理論を上位のシステムと関連付ける」で経営戦略論を統合します。

 

「戦略サファリ」の中で、ミンツバーグが「盲目の男たちと象(ジョン・ゴドフリー・サックス(1816-1887))」の寓話を引き合いに出しています。

惜しい!ミンツバーグ!!
この寓話は、下位システムでの永遠に解決されない対立が、上位システムと関連させると対立が解消されるというか、対立して論争すること自体が滑稽であるということのメタファーじゃないですか!
ミンツバーグがこの寓話を引き合いに出しながら、「戦略サファリ」で学説の羅列に終始しているというのは、むしろ驚きです。

インドスタンに、6人の男たちがいた。学ぼうという気持ちが強く、象を見に出かけた。
(全員、目が見えなかったが)じっくりと観察すれば心が満たされるだろう、とみんなが考えていた。最初の男は象に近づき、うっかり転んだ拍子に大きくてがっしりした脇腹にぶつかりこう叫んだ。
「おやおや、象とは壁のようであるぞ。」2番目の男は、牙に触れて大声をあげた。
「おお!これはなんと丸くて滑らかでしかも尖っている。わかった。この象というものは槍のようだ!」3番目の男は象に近づき、手に掴んだのがクネクネ動く鼻だったので、大胆にもこう言った。
「なるほど、象とはまるでヘビのようだ!」4番目の男は手を伸ばして膝のあたりを熱心に触った。
「この不思議な獣はまったくデコボコがない。きっと象とは木のようなものであろう。」5番目の男が触れたのは耳だった。そしてこう言った。
「まったく目が見えなくても何に一番似ているかよくわかるぞ。まちがいあるまい。この象という生き物はうちわのようであるぞ!」6番目の男は象に手を伸ばすと、すぐにゆらゆら揺れる尻尾を掴み、こう言った。
「なるほど。象とは縄のようであるぞ!」それから、このインドスタンの男たちは長いこと大声で言い争い、それぞれが自分の意見を譲らず、言い争うだけだった。
それぞれが正しいところもあるが、またどれもが間違えているのに!
寓話の中の盲目の男たちが言うように・・・・

「象は壁のようなものである」 vs 「象は木のようなものである」
では意見が対立します。

対立だけならよいのですが、象の部分的な特徴から象の全体を説明しようとしていますので、双方の意見がともに間違えています。
しかし、人から聞いた話ではなく自分が実際に経験した事実を根拠に話していますので、いずれも間違ってはいますがウソをついている訳ではなく、事実そのもの(と信じるところ)を主張しています。
部分的であろうと事実に基づいた主張ですので「正義は我にあり」ということになります。

争いは「正義」と「正義」がぶつかったときに熾烈となります。
なにしろ「正義」と「正義」がぶつかるのですから和解の成立する余地はありません。
戦略論の平行線はこのようにして生まれています。
象が木のようなものであっても、壁のようなものであっても、象は川辺でのんびりと水浴びでもしていればよいので象自体には関係のないことです。
しかし、部分的な特徴から構築された戦略論を信じ込み、実際に戦略を立案するとなると、これはもう危険極まりありません。

 

それでは・・・
「象の脇腹は壁のようなものである」 vs 「象の足は木のようなものである」
・・・ではどうでしょうか。

象の「脇腹」は確かに壁のようなものであり、象の「足」も木のようなものですので、双方とも真実です。
しかも「脇腹」ですとか「足」ですとか、象のどの部分かを限定していますので対立の生じる余地はありません。
象は「壁」「槍」「ヘビ」「木」「ウチワ」・・・・のようなものであるという部分的特徴をもっています。
象という全体から出発して部分を説明すれば対立が一挙に解消されるのですが、部分から全体を断定する――そしてこれが対立する戦略論の現状なのですが――という方法論では対立が深まるばかりです。

ここでは戦略論の4つのアプローチを、セレクション・システムという全体と「視覚的」に関連付けます。この関連付けにより、4つのアプローチが、セレクション・システムのどのような部分的特徴を説明しているのがお分かりになると思います。

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

戦略論の統合

第1章 一体どのような競争をしているのか

第2章 S・N・Sによる戦略論の統合

第3章 変異ベクトルによる戦略論の統合

コラム集

競争曲線(ケースの統合)

経営マンダラ(マンダラチャート)

戦争の理論と企業間競争

その他