補足 正直者は選らばれる その3

 

経済学の分野では、前提とする人間像についてパラダイム・シフトが起こっているようです。復習になりますが、従来の経済学における人間像は「合理的で利己的」というものでした。

「合理的」というのは、あらゆる情報の全てを収集して分析、評価まで出来てしまうという神のような存在です。
ところが「神」は実際の生活で必要とする以上の情報収集能力や分析力を、人に授けるようなことはしませんでした。

「利己的」というのは、他人の利益を一切鑑みず、冷徹で経済的打算のみによって動く人間のことをいうのですが、「怒り」や「不満」が経済的打算に勝ることもあります、「財布の実験」でもみましたように、人は利他的で他人を思いやる「心」もあります。

ちょっと補足
行動経済学では人間の不合理性や利他性が特に強調されているのですが、完全に不合理でかつ利他的であるとは言っている訳ではないことに注意する必要があります。

また「合理的」で「利他的」には一度選好したら選好の順番は絶対に変えないという意志の強さなども意味します。
「合理的で利他的」という人間像は、複雑な人間の行動を単純モデル化することにより、様々な分析上の利点が得るための、抽象化された「仮説」です。「経済人」など地球上のどこを探してもいないというのは、分かりきった話です。

 

「仮説」の「規範」化
ところが「仮説」は時として「規範」を生み、人の行動を規制するようになるようです。
この「仮説」は「強欲は善であり、利己心は美徳である」というABM(アメリカン・ビジネス・モデル)の「規範」を生み出しました。
日本でも、実際に「金さえあれば何でもできる」という経営者が現れ、一時テレビのバラエティー番組でもてはやされていましたが、結局は刑務所行きとなり、投資家に多大な迷惑をかけただけでなく、自ら苦労して設立した会社からは損害賠償を請求され、結局「金儲け」という目的を効果的に達成することができませんでした。
彼はABM(アメリカン・ビジネス・モデル)が抱いた妄想の被害者だったのかもしれません・・・この「規範」には美しさが欠けていたのです。

経済学者のジョン・ケイ氏は、次のように指摘しています。

ABMは、人間行動についての誤った認識を前提としている・・・鉄鋼王アンドリュー・カーネギーにせよビル・ゲイツにせよ、ビジネスで成功することが目的であり、金儲けが目的ではなかった。要するに、ABMはあまりにも片寄った人間観を前提としており、ために市場経済を適切に描写し得ない。では、なぜ米国経済がこれほどまでに成功したのか。米国経済は「ABM」どおりではなかったからである。
(市場の真実 「見えざる手」の謎を解く ジョン・ケイ著 佐和隆光監訳 佐々木勉訳 中央経済社 2007年3月 p8-9)
カーネギーが出てきましたので、カーネギーの言葉もみてみましょう。
私は長い一生のうちに、よい正直な仕事をしない会社が成功したのも見たことがない。
・・・中略・・・
ある時、大会社の社長が、検査官がはじめて見に来た時、部下がその男を追い帰し、その後再びもどって来ない、と私に自慢した。これをきいて「この会社は競争に勝つことができない。不景気になると、かならず倒産する」と自分にいってきかせた。そして、私が考えた通りになった。
(カーネギー自伝 アンドリュー・カーネギー 坂西志保訳 中公文庫 2002年2月 p136-137)
「経済人」から「普通の経済人」へのパラダイム・シフトは歓迎すべきものです。
今や経済学は感情のない物理的(機械的)な数学のみならず、心理学や進化論、脳神経科学などを取り入れ、学際的な色彩が強くなりつつあります。

 

利他性への進化圧
家族の絆は強いものです。
チリ落盤事故(2010年8月5日に発生し、10月13日に全員救出された)で地下に閉じ込められた作業員が、はたして救出されるかどうかわからないという不安と暗闇の中、懐中電灯の明かりで書いた家族に宛てた手紙や日記、そして69日後に無事救出されたときの家族との喜びの対面を見ると、改めて家族の絆の深さが感じられます。
極限状態では家族の絆が力を発揮するようです。
1620年、メイフラワー号でアメリカのマサチューセッツ州プリマスに到着した総勢102人のうち、最初の冬を越えられたのは約51%で、生き残った人の方が命を落とした人より親族が多かったようです(5万年前 ニコラス・ウェイド著 安田喜憲監修 沼尻由起子訳 イースト・プレス 2007年9月 p214参照)。

国がどんなに大きくなろうとも、人間の最小集団単位は家族です。
しかしながら、血縁関係で結ばれた集団は大きくなれません。核家族化が進み、最小集団単位がますます小さくなってきている現代では、ちょっとピンとこないのですが、人類史的にはつい最近まで、集団の大きさが人の生死に直接関わるといった時期が、永く続いていました。

日本人がいくら平和ボケしているといっても、それはつい最近のことであり、数百年遡ると(日本史を見てもお分かりのように)内戦状態となります。
ここ数万年で人類の好戦的性格は随分と薄らいできたのですが、国家以前の社会で平和な社会は稀で、成人は何度も戦いを経験したようです。
しかも現在の戦争に比べて原始的な戦闘はるかに凄まじく「原則皆殺し」です。
目的は敵の社会の根絶で、生かしておいて敵の恨みを買うという面倒なことはしなかったようです(5万年前 ニコラス・ウェイド著 安田喜憲監修 沼尻由起子訳 イースト・プレス 2007年9月 p203-205参照)。
いざ、戦となるとモノをいうのが戦闘員の人数です。
10人よりも100人の集団の方が「圧倒的」に強いことは言うまでもありません。
もちろん集団の結束も必要です。
大きな集団を統合するためには協調や相互信頼といった道徳的な規範が必要となります。

行動経済学の書籍ではダーウィンまで引用されるようになってきました。
次の文章は経済学者である友野典男氏が引用したダーウィンの一節です(行動経済学 経済は「感情」で動いている 友野典男著 光文社新書 2006年5月 p366)。
映画「ビューティフル・マインド」でジョン・ナッシュが「特に生物学の奴らには耳を貸すな(英語で何と言っているかは聞きとれませんでした)」という台詞があるのですが、経済学では学問の壁を越えてしまったようです。
(出所は忘れましたが、以前でしたら経済学で進化論に言及するときには「ダーウィンがマルサス(経済学者)からヒントを得てから、経済学は進化論を引用する永遠の権利がある」というような前書きを置き、遠慮しがちに引用していました)
道徳性の高さは、特定の一個人やその子どもたちを、同じ部族の他のメンバーに比べて、ほとんど、またはまったく有利にするものではないが、道徳の水準が上がり、そのような性質を備えた人物の数が増えれば、その部族が他の部族に対して非常に有利になるだろうということは忘れてはならない。
愛国心、忠誠、従順、勇気、そして共感の感情をより高く保持していて、たがいに助け合ったり、全員の利益のために自分を犠牲にする用意のあるような人物をたくさん擁している部族が、他の部族に打ち勝つだろうことは間違いない。
そして、これは自然淘汰である。
いつの時代にも、世界のどこでも、ある部族が他の部族に置きかわってきた。
そして、道徳は彼らの成功の一要因であるので、世界のどこでも道徳の標準は向上し、よりよい道徳を身につけた人間の数が増加したのである
(人間の進化と性淘汰Ⅰ チャールズ・ダーウィン著 長谷川眞理子訳 文一総合出版 1999年9月p145)
(補足)ダーウィンのこの記述はマイケル・S・ガザニガ(脳神経科学者)も、集団間の抗争の長い歴史のある種(つまり人)の進化で、道徳性が有効に働いたとして引用している(人間らしさとは何か? 人間のユニークさを明かす科学の最前線) マイケルSガザニガ著 柴田裕之訳インターシフト 2010年3月 p112参照)
人間の利他性は血縁関係にあるものだけではなく、全くの他人にも向けられるという点で、非常に特異なものなのですが、この利他性は数万~数十万年にわたる進化圧により獲得したようです。

 

遺伝子本体のDNAに書き込まれている遺伝情報のことをゲノムというのですが、2003年にヒトゲノムの解読が終わり、このゲノムの解析によって人類のルーツをさかのぼれるようになってきました。

現在、人類は南極大陸と一部の無人島とを除く、それこそ世界中の広範囲にわたり拡散し、それぞれの環境に適応した生活を営んでいますが、アフリカを除く世界中の人類の先祖がアフリカを出たのが今から約5万年前。
150人位の小集団でアフリカを出たのは1回だけで、この小集団がアフリカを除く世界の共通先祖だそうです(5万年前 ニコラス・ウェイド著 安田喜憲監修 沼尻由起子訳 イースト・プレス 2007年9月 p94参照)。

私たちの先祖集団は「利他性」もアフリカから持ち出しました。
普遍的人間というのは人類学者ドナルド・ブラウンが発展させた概念で、世界中の社会で目につく人の普遍的な行動です。
普遍的行動には、踊りや占い、自分の感情を表現するのに使う顔の表情からファッション・センスもあり、もちろん「利他性」も持ち合わせています(ヒューマン・ユニバーサルズ――文化相対主義から普遍性の認識へ ドナルド・E・ブラウン著 鈴木光太郎 中村潔訳 新曜社 2002年7月 (原本は1991年))。

先祖集団の暮らしぶりを知るには、遺伝子的に世界最古の集団である南部アフリカのサン族がうってつけだそうです。
サン族が嫌う性格特性は2つあります。
自慢することとケチです(5万年前 ニコラス・ウェイド著 安田喜憲監修 沼尻由起子訳 イースト・プレス 2007年9月 p79-85参照)。

ABMで称賛された「強欲は善であり、利己心は美徳である」という従来の規範を持った「経済人」が、サン族の集団に入ったならば、相手にされないどころか、燃えるような怒りの毒矢で射抜かれることでしょう。

経済学では脳科学で使用されるfMRI(機能的磁気共鳴画像診断装置)まで持ち出して、人間の利他性(正確には互酬性)を研究しています。

それによると、人が利他的行動をとり、相手もこれに同調・・・つまり協力関係をとったとき、脳の報酬系の部位が活性化することが判明してきています。
つまり、われわれ人は、利己性ばかりではなく利他性とを併せもつように進化した生物であるということです。

会社は社会を基盤に成り立っています。
そして、社会とは人の集まりです。
人に利他性があり利己性は排除されるという性質がある以上、利他性は会社が永続するための条件です。

私は何か相談を受けた場合
「何か迷ったら、利他性を基準に判断しなさい」
と指導しています。
そうしたら、レジのオバさん(失礼)までも「利他性」を口にするスーパーなんかも出てきました。
このような会社は客を惹きつけます。

利他性は経営戦略を策定する上で考慮に入れるべき、重要な判断基準の一つです。

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