環境の変化に対応して、企業も変化しなければならないというのが経営戦略論の常識でしょう。この経営戦略論の常識を覆すような戦略もあるというのが「安定の理論」です。
何かを「変えない」ということも重要な戦略的意思決定で、「変えない」ことにより、かえって競争相手と差別化が図られるというパラドックス的な戦略です。
ロシアがまだソビエト連邦といわれていた時代、ロンドン、パリ、ローマ、ジュネーブに旅行したことがあります。
モスクワ空港でトランジットましたので、空港内で買い物の時間があり、確か琥珀のパイプを買ったと思うのですが、どこかの引き出しの奥にまだあるかも知れません。
モスクワ空港でまず驚いたのは警備兵です。
自動小銃、防弾チョッキ、ヘルメットで完全武装した兵士(警備員にしては物々しすぎます)が要所要所に立って警備をしていました。
銃口は斜め下に向いてはいるものの、何かあればいつでも打てるように、明らかに銃を構えているのです。
つい最近ロシア人に聞いてみましたが、今でも自動小銃で警備しているとのことです。
ローマ市内にある世界最小の主権国家バチカン(市国)も観光したのですが、バチカンの衛兵はどうかというと、斧の付いた長い槍で悠長に警備をしており、モスクワ空港のような物々しさは感じられません。
こっそり前に立って記念写真をとっても槍で刺されるということもなさそうです。
1506年6月にスイス人がバチカンを警備するようになってから、警備のための武器は500年以上も槍です。
1000年後、自動小銃がビームガンになったとしても、長い槍とミケランジェロがデザインしたといわれるルネッサンス風の軍服で門の前に立っているに違いありません。
数百年前、衛兵がバチカン市国を警備しだしたとき、槍は戦闘時に使われる一般的な武器でした。
ところが、この数百年で武器の性能は格段に進歩しましたので、石器時代的な槍などは近代兵器の前にはほとんど無力でさえあります。
ではなぜバチカンの衛兵が、絶望的に不利な武器で警備の任に当たっているかというと、武器が進歩すればするほど「槍が際立つ」からです。
そしてこの石器時代的な槍の際立ちは、武器が劇的に進歩すればするほど、時代が経過すればするほど、輝きが増すという性格を持っています。
バチカンの衛兵にとって「変えない」ことこそが、象徴としての防衛の、最高の戦略なのだとおもえてきます。
生物でもそうという長い期間姿かたちをほとんど変えないという戦略をとっているものもあります。
ただし、同じ「変えない」でもバチカンの衛兵とは次の点で異なります。
バチカンの衛兵→環境の変化を前提としている(武器の進歩など)
生物の安定や→環境が変化しないことを前提としている
シーラカンスで4億年、ゴキブリで3億年もの長期間にわたり外見をほとんど変化させていません。
生物学的な「安定」の仕組みをちょっと見てみましょう。
自然選択は、環境条件の違いによって、その環境に住む個体群に安定、定向進化、多様化のいずれかの道を歩ませる。自然選択の安定作用は、生息環境が長い年代にわたって変化しない場合に見られる。そのような環境に生活する動植物の個体群は釣り合いがよく保たれているので、進化的な変異は有利に働かない。このような場合、動植物が少しでも変化すれば、この環境にあって長い時間のうちに熟成した効率のよい生存様式からはずれることになる。不利であるばかりか、結局は自滅しなければならないからである。 (AFTER MAN アフターマン 人類滅亡後の地球を支配する動物たち ドゥーガル・ディクソン著 日本語版監修:今泉吉典 旺文社 1982年1月 p020) |
生物では環境が変化しないときに個体群が安定します。
環境が変化する場合にはやはり変異しなければならない、ということになります。
まあ、変化には変化で、安定には安定で対応するというのが常識的でしょう。
しかしながら、先ほどのバチカンの衛兵はこの常識を覆すパラドックスです。
何しろ、変化に対して安定で対応して、成功しているのですから。
生物学(進化論)では「赤の女王仮設」というものがあります。
ところが、バチカンの衛兵やある種の企業は、環境の変化を、必ずしも前提としていません。
むしろ、競争相手がカイゼンやイノベーションを起こして進歩するということを前提としています。
企業でいいますと、競争相手がカイゼンやイノベーションを起こしているときには、こちらもカイゼンやイノベーションで対応する・・・生物学でいう赤の女王仮設・・・軍拡競争・・・のが常識でしょう。
ところが、競争相手の(カイゼンやイノベーションによる)変化に対して、「安定」で対応して成功を収めている企業があることに気が付きました。
まるで、バチカンの衛兵の手にする武器が旧式の槍であるように「変えない」という戦略です。
これは、生物学ではありえない「逆赤の譲仮説」ですね。
そして、競争曲線を描くと「変えない」という戦略をとる企業には一定の形があるということを発見したのです。
赤の女王仮説・・・軍拡競争
シマウマの天敵はライオンです。
しかし生物学者のリチャード・ドーキンスは「シマウマはライオンの敵である」と言っています(盲目の時計職人 リチャード・ドーキンス 中嶋康裕・遠藤彰・遠藤知二・疋田努訳 早川書房 2004年3月
p290)。
なぜならばシマウマはライオンに食われないように進化しており、これに追いつかなければライオンは死に絶えてしまうからです。
ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」で、赤の女王がアリスと一緒に走るシーンがあります。
生物学では生物が生存競争に生き残っていくためには、進化し続けなくてはならず、立ち止まることは絶滅を意味するということを「赤の女王仮説」というメタファーで表現しています。(実際にはかなり専門的である (「赤の女王」 マット・リドレー著 長谷川真理子訳
翔泳選書))
最初に提唱したのは生物学者リー・ヴァン・ヴェーレンです。
(ルイス=キャロルの童話「鏡の国のアリス」の世界では、(鏡の国なのですから)私たちの世界の常識は通用しません。) 赤の女王はアリスの手をつかんで木の下から走り始めました。しかし、ふたりのまわりのりの木なんかが全く位置をかえません。「速く、もっと速く」といって走ります。走り方はますます速くなり、足をほとんど地面につけずに、空中をすべっていくようになっていました。 アリスがすっかりへばってしまったときに、ふいに止まるのですが、さっきと同じ木の下にいました。「こんなに長いこと走ったら、あたしの国ならたいていどこかについていますわ」とアリス。赤の女王はアリスに言った「それはまた、のろまな国であるな。ここでは、よいな、同じところにとどまっていたければ、力のかぎり走らねばならぬ。どこかにゆきつこうと思えば、その二倍の速さで走らねばならぬ」 (鏡の国のアリス ルイス=キャロル作 芹生一訳 偕成社文庫 1980年11月 参照) |
このメタファーはビジネスにも通じます。
変化する環境の中で、企業が今と同じ場所(地位)にとどまり続けたいのなら企業は走り続けなければなりません。
少し先に行きたいのなら、それこそ力の限り、空中をすべっていくような速さ(の二倍のはやさ)で走らなければなりません。
アルビン・トフラーが「パワーシフト」の序論で、自身の「中心テーマは変化」と述べていますが、環境変化が加速する中で企業に求められる能力は「変化する能力」であると断言しても、何ら違和感がありません。
むしろ、経営者ならば「当然のこと」と言われることでしょう。
しかし、ビジネスには環境が変化するからこそ「変えない」ということも起こり得るのです。
赤の女王仮説そのものが「動かないために動く」というパラドックスなのですが、安定の理論は「動くためには動かない」という、生物学にはあり得ない、それこそ企業間競争に特有のパラドックスのパラドックス「逆赤の女王仮説」なのです。
逆赤の女王仮説・・・安定の理論
「安定」は戦略論でもほとんど相手にされていませんが、「安定」も十分にあり得るということに気がついたのは、商工会で講演した後の食事会でのことです。
この「安定」もあるということに気がついたことが、これより数年後の「安定」を含む変異ベクトルの考案につながっていきます。
この「安定」という戦略がベストな場合、経営相談は非常に簡単で、10分で終わります。
浜松町でうなぎ屋を営んでいるという女性経営者から、経営について何かアドバイスがないかと聞かれました。
「利益は出ているのですか?」
「はい、そこそこですが出ています」
(利益については社長の表情からも出ているようです)
「創業はいつからですか?」
「明治からです」
(明治から何代か続いている老舗です)
「客層は?どちらかと言うと高所得者ですか?」
「はい、お馴染みさんが多く、客層はいいほうだと思います。(経営の仕方で)何か変えるとか、気 を付けないところはありますか?」
「・・・今のままを続けることです」
「今のまま」という私の言葉に、この経営者は怪訝な顔をしていましたが、これ以上の正解はありません。
このうなぎ屋が主張すべきなのは「変わらない」ということで、「同じ場所」で、何代にもわたり継承された「古いたれ」を使い、昔と変わらない「本物」のかば焼きだということです(しかも、このような主張はさりげなく、優雅に行った方がよいのです)。
味をよくしようとしてもいけません。「味が変わった」と言われるのがオチです。
さて、このうなぎ屋の経営者がある経営セミナーに参加したそうです。そのセミナーでコンサルタントにポイントカードを発行するようにアドバイスされ、実際にポイントカード制を導入してしまいました。結果は見えています。ほとんどの客がポイントカードを受け取らないと嘆いていました。
「変えるところはどこもありませんし、積極的に変えない方がよいのではないでしょうか。古さを演出することです。
大友家持が『石麻呂に われ物申す 夏痩せに 良しというものぞ むなぎとり召せ』と詠んでいますので、この和歌を箸袋にでも書き入れたらどうでしょう(ただし効果は期待できませんが・・・)」とアドバイスしました。
このうなぎ屋の場合、環境が安定しているから「安定」なのでしょうか?
確かに、うなぎは平安時代から疲労回復、滋養に良いとされてきました。
製品ライフサイクルが非常に永く、今後とも蒲焼の需要が極端に落ち込むとは考えられませんし、技術革新が激しい訳でもありません。
ところが同じ頃開業したうなぎ屋はほとんど廃業しているようですし、中国からは安いうなぎが大量に輸入されています。
うなぎ屋は今やスーパーやコンビニと競争しなければなりません。
また、うなぎ屋を「飲食業」と定義しますと競争はさらに激しくなります。
そこで、環境が安定しているということを「技術革新が小さい」と、「競争が(さ程)ない」に分けて考えることにしました。「競争がない」というのは新規参入や同業他社が少ないということです。
・通常「安定の理論」が働く市場はというと、競争がない環境が想定されます。
しかし、競争が激しい飲食業などでも「安定の理論」は働きます。
飲食業は他の業種に比べて開業しやすい分、競争も厳しく、倒産や廃業に追い込まれるケースも少なくない。東京商工リサーチでは、「飲食業界は基本的に飽和気味で競争過多が常態化している。この傾向はさらに強まっている」と指摘している。 (nikkei BPnet http://www.nikkeibp.co.jp/archives/314/314758.html 最終アクセス2010年9月5日 |
開店当初は賑わっていたレストランもやがて閑古鳥が鳴き、いつの間にか違う店になっていた、などということは珍しくも何ともありません。
その時の時流に乗って行列のできるラーメン屋はありますが30年以上行列ができ続けたラーメン屋は意外に少ないのです。
この、競争過多の飲食業にあっても100年以上続いている店があります。
私の事務所(通称:秘密基地)の前には文久3年(1863年)創業の田中屋という料亭があります。
安藤広重の絵には他に何軒かの旅籠が描かれているのですが、この界隈で料亭として残っているのは、勝海舟の紹介で坂本竜馬の妻「おりょう」が働いていたというこの田中屋一軒だけで、他は全てマンションになっています(田中屋HP参照)。近くにはレストランさえもありません。
ヨーロッパにも古いレストランが点在します。家内と行ったウィーン近郊のレストランの壁にはモーツアルトほか有名音楽家のサインがありました。
このレストランは壁を塗り替えず、メニューもさ程変えなければ(例えば健康食ブームに乗って日本食を出すなど)あと100年は安泰でしょう。
むしろ、ときが経てば経つほどこれら音楽家の古典的な価値とともにレストランの価値が上がっていきます。
競争が厳しくても、その厳しい競争を勝ち抜きますと(完了形)、「安定」の領域に入るのです。
・医薬品など技術革新が著しくても安定の理論が働く場合があります。
私の友人(の友人)には漢方薬で数百年続いているという老舗があります。
この場合漢方薬と西洋薬(現代薬)と環境を分けて考えるのが正解かもしれませんが、同時代に開業した他の漢方薬屋はほぼ全て廃業しています。
時計なども技術革新が激しいのですが、一部の機械時計――値段が高く、時間が狂いますので機能的には最低のロレックス――はいまだに健在です。
・また、オートバイ(ハーレー・ダビッドソン)のように技術革新が中程度のものにも安定の理論が成り立つ場合があります。
この場合、競争相手(ホンダやヤマハ)がどんなに性能を向上させようが、ハーレー乗り(ライダー)は一向に気にしません。
むしろハーレー乗りはローテクを楽しんでいるようにも見受けられます。
「安定の理論」はカオス的に変化する環境を前提としており、環境が変化しないことを必ずしも前提としていません。
むしろ環境がカオス的に変化すればするほど、むしろ変化しないことの方がその企業にとってカオス的変化となるのです。
ヨーロッパには世界遺産に登録されている街がありますが、これは他の街が予想外に変化してしまい、その街に骨董的な希少性を帯びてしまったためです。
数百年前にその街を訪れたとしても、その近辺にはどこにでもある普通の街で、珍しくも何ともありません。
その外観を保つことにより、それが徐々に希少的価値をもち、数百年後には世界遺産に登録されるなどとは、誰も夢想だにしなかたことでしょう。
「安定の理論」の本質は?
およそカオス的に変化する環境を前提として「変わらない戦略」などというのは考えられていないせいでしょうか、戦略論で安定の理論(に相当する理論)の研究はほとんどなされていません。
老舗が世界的にみても突出して多く、世界最古の会社(1400年の歴史を持つ金剛組)を有する日本で、しかも日本固有の経営戦略論の周辺分野として研究されているにすぎません。
もう一つの「日本的経営」はコア・コンピタンス経営となり、資源アプローチ(RBV)として戦略論の主流となりつつあるのですが・・・・
安定の理論の本質は人間の持つ感性にあるのではないかと思われます。
キーワードをあげると次のようなものではないか、と思われます。
顧客価値としては「伝統、ノスタルジー、フィーリング・フィット、安らぎ、本物」で、これを支えるケイパビリティとしての「ある種の徳性、経営理念、伝説」ではないでしょうか。
安定がベストか?
老舗は時代の経過という、後発企業には越えられない防衛線をもっています。
老舗が伝統をかなぐり捨てて後発企業と競争しようとすれば、伝統によって築かれたその企業の独自性――防衛線――を却って損ねることになります。
老舗つまり「安定」の域に達した企業について記載された本を何冊か読みますと、この域に達した経営者が判を押したように言うことは「競争をしない」つまり「変化しない」です。
後発企業の基本的な戦略は「変化する」です。
後発企業が老舗と同じレベルに立つにはその時代まで遡らなければならず、それは無理な相談です。
しかしながら、いかんせん、100年以上も継続した企業の経営者の言うことには説得力があります。
いきおい「変化しない」が戦略の本質であるような錯覚に陥ってしまいます。
ただし、これは複雑な事象の一側面を捉えたもので、反対の事例――変えることによって成功した事例、変えないことによって失敗した事例――も見てみる必要があります。
戦略に関する限りは一神教的な「唯一絶対の戦略」への信奉は捨て去った方がよく、山や海、太陽や月、風や雷の神といった多神教的な「バラエティある戦略」という、思考のシフトが必要です。
確かに、「変化しない」という戦略で競争優位を享受できるのですから「究極の戦略」ともいえなくはありません。
しかし、世の中変化しているのですから、通常はアルビン・トフラーの言うように「変化すべき」です。
カオスを前提として変化しないというのですから、真の安定が形成されるまで「変化しない」という戦略の有効性は予測不能なのです。
以前フォードは変えないという戦略をとってGMに敗れています。
良いものは長く使えるものでなければならないという信念のもとに車種をT型に統一し、自動車の色を「何色でもいい、黒ならば」と何と黒一色にしてしまいました。
このフォードの「変えないという戦略」に対してGMは多車種、モデルチェンジという「変えるという戦略」で対抗し、T型フォードを陳腐化させてしまいました。
そのGMも・・・・・
ただし、安定が形成されると、変えないということをアピールするということは重要です。
ルイ・ヴィトンの店に行くと大きなトランクが置いてあることがあります。
相当使い込んであり、そこらじゅうの傷がトランク自身の歴史を語りかけてきます。
どのくらい前のものなのでしょうか?
50年以上前?
店員に聞いたのですが店員も分かりませんでした。
この使い込んだトランクを置くことによって、ヴィトンは古さ、歴史を主張しています。