2-4 ハーレーダビッドソン・・・天才の逆説

塞翁が馬
中国の格言に「塞翁が馬」というのがあります。(注1)
ある日、塞翁が飼っていた馬が逃げてしまいました。村の人が慰めたところ、塞翁は「これは福の兆しである」と答えました。
数ヵ月後逃げた馬が駿馬を連れて帰ってきた。そこで村人がお祝いに行くと、塞翁曰く「これは禍(わざわい)の兆しである」。
それから数日後息子が馬から落ちて足を骨折してしまいました。村人が慰めると、塞翁曰く「これは福の兆しである」。
一年後大きな戦がありました。村人の十人に九人が戦死するという凄惨な戦です。息子はその骨折のおかげでい戦に行かずにすみ命拾いをしました。

福が禍になったり禍が福をもたらすという変転は極めることができないし、予測することもできない・・・といういうことです。
米国におけるホンダの成功や、創業1903年のオートバイメーカーの老舗ハーレーダビッドソンの復活は「塞翁が馬」という中国の格言を連想させます。
成功の原因が失敗の原因となり、その失敗の原因が今度は成功の原因となることもあるのですから企業間競争は予測不能ですね。

ハーレーの隆盛
ハーレーダビッドソン(以下ハーレー)の創業は、今から100年以上も前の1903年です。
5大湖の西方に位置するウィスコンシン州ミルウォーキーという田舎町で、幼馴染であったウィリアム・ハーレーとダビッドン3兄弟によって設立された、アメリカ資本で唯一生き残ったオートバイメーカーです。
私の祖父は若いころハーレーのライバルであったインディアンに乗っていたといっていましたが、そのインディアンも1953年に消滅し、ハーレーはアメリカ市場をほぼ独占していました。
1950年代の経営陣にBSA、トライアンフ(いずれもイギリスのオートバイメーカーの名門)の脅威を説いても笑ってあしらわれるでしょうし、まして日本のホンダなどという名もないメーカなど無視されたのでした。

ほぼ3年にわたってハーレー(乗り)を取材したブロック・イェイツは言っています。

≪サイクル≫誌の1959年11月号に載った見ひらき広告は、ホンダという日本のメーカーが小型バイクを出したことをつげたが、それもまた無視された。国際オートレースでは一応名の知られた会社ではあったが、合衆国では無名のブランドだった。たしかにちっぽけなオーバーヘッド・カムシャフト、50ccエンジン、まるでご婦人専用みたいな小さなスーパーカブは、電気式セルフスターティング・システムこそ興味をそそるものの、マーケットに影響なんかあたえるはずもない。広告のキャッチフレーズには、“ホンダで素敵な人たちとの出会いを”とあった。
(ハーレーダビッドソン伝説 ブロック・イェイツ著 村上博基訳 早川書房 2001年1月 p68)

日本でスーパーカブというと蕎麦屋の出前か新聞配達で使われている、薄汚れたグレーの作業車を思い浮かべるにちがいありません。
実際にスーパーカブは蕎麦屋が出前できるように片手で運転できるようになっています。
ホンダがアメリカでターゲットとしたのは(実際には男性も乗りますが)、なんと婦人です。

当初ホンダはアメリカで大型バイクを売り込む予定でした。
市場調査したところ、アメリカには小型バイク市場は存在せず、大型バイク市場しかなかったからです。
大型バイクは8台程度は売れたそうですが(ホンダ式 中部博著 東洋経済新報社 2002年10月 p180)、悲劇はバイクが販売されてから始まりました。
アメリカ人はバイクを高速で乗り回すために、バイクが壊れ始めてしまったのです。
そこで仕方なくスーパーカブの販売に着手したというのが本当のところです。(戦略サファリ ヘンリー・ミンツバーグ ブルース・アルスとランド ジョセフ・ランベル著 齋藤嘉監訳1999年10月210~213参照)

ハーレー地に落ちる
当初静かにスタートを切った日本車ですが、セル・スターター、4気筒エンジン、ディスクブレーキなど新しい機能を付加して、アメリカ人に言わせると「完璧な性能」(ハーレーダビッドソン伝説 ブロック・イェイツ著 村上博基訳 早川書房 2001年1月 p206参照)とリーン生産(注2)による低価格によって、アメリカからイギリスのメーカーを駆逐し、ハーレーの脅威になっていきます。(日本車はアメリカ市場のみならずイギリス本土においても名門BSA、トライアンフに壊滅的な打撃を与えています)

1970年に入ると日本車の攻勢を受け、ハーレーは危機的状況に陥りました。

850cc以上で1973年に約80%あったシェアは、1980年には30.8%に激減した。ハーレーは50年ぶりに赤字を経験する。(ハーレーダビッドソン経営再建への道 リッチ・ティアリンク リー・オズリー 著 伊豆原弓訳 翔泳社 2001年7月 p23)
業績は一段と悪化した。かつてビッグ・クルーザー市場を独占したハーレーのシェアは、いまや30パーセントに落ち込み、のこりは日本車に奪われていた。そのため会社は1978年から79年にかけて、ITC(国際貿易委員会)にダンピング商法であるとして提訴した。第二次大戦後、イギリス車にたいして起こした訴えと同様だった。またしても訴えは却下された。ITC裁定は、会社のかかえる問題は、日本のいかなる商行為よりも、みずからの品質管理の悪さ、時代遅れのデザイン、マーケティング・ポリシーのまずさに起因するとした。
もしかしたらハーレーダビッドソンは、この時点で軌道修正をおこなって、そのままずるずる消え去っていたかもしれない。社外からは製品の近代化を激しく迫られていたから、いっそもう古めかしい空冷45度Ⅴツイン・エンジンを、いかにそれが70年間ハーレーダビッドソンというバイクの真髄であったにせよ、きっぱりすてて、目のさめる画期的デザインで日本車と対抗しようかという誘惑は当然あった。将来の鍵をにぎるのは、日本車のようなモダンでなめらかな四気筒エンジンだというのが、外部に多い声だった。Ⅴツインは早晩、馬車の鞭やフリントロック・ライフルがたどった道をたどるだろう。そう断言した専門家たちは、ハーレーダビッドソンの伝統的車種にたいして、アウトロー・ライダー・マガジンのようなうさんなところから出ている信仰にも似た支持を、悪意的に黙殺した。
(ハーレーダビッドソン伝説 ブロック・イェイツ著 村上博基訳 早川書房 2001年1月 p184-185)

1983年、レーガン大統領は輸入関税を45%引き上げるという措置をとったほどです。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/098/0260/09804260260012a.html衆議院会議議事録 第098回国会 商工委員会)

ハーレーの最大の特徴はVツイン・エンジンです。ハーレーはVツインを意図的であるかないかは別にして変えなかったのでした。

海外のライバル企業は新しいデザインを発売していたが、ハーレーの商品設計開発プロセスは遅くて予想も立たないため、伝統的な製品に固執するしかなかった(「伝統的」であることは、デザイン上は良いことだが、技術的には遅れているということだ)。
(ハーレーダビッドソン経営再建への道 リッチ・ティアリンク リー・オズリー 著 伊豆原弓訳 翔泳社 2001年7月 p15)

「伝統的な製品」でアメリカを席巻し、「伝統的な製品に固執」したことにより日本車に敗れたのですが、「伝統的な製品」であるがゆえにハーレーは復活するのです。

ハーレーの復活
2001年7月に日本語訳された「ハーレーダビッドソン経営再建への道」では・・・

ハーレーは1997年に、12年連続で自社最高の売上高と利益を更新し、年間のオートバイ製造・販売台数も過去最高に達した。(ハーレーダビッドソン経営再建への道 リッチ・ティアリンク リー・オズリー 著 伊豆原弓訳 翔泳社 2001年7月 p15)

と書かれていましたので、ハーレーダビッドソンUSAのホームページに飛んで1998年以降の売上も調べてみました。
グラフを見ればわかるとおり、ハーレーは2006年まで21年間売上を伸ばし続けたことになります。
2007年からはアメリカ国内の売上減少によりトータルでの売上は減少していますが、アメリカ本土以外の地域では、売上は依然として堅調に推移しているようです。

HARLEY-DAVIDOSON USAホームページより
http://investor.harley-davidson.com/downloads/HOG_Factbook.pdf 最終アクセス2009年7月27日

さて、日本におけるハーレーの販売推移も堅調です。
2005年時点で、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4社によって、世界のバイクの半数が生産されています(巨象に勝ったハーレーダビッドソン ジャパンの信念 奥井俊史著 丸善株式会社2008年1月)。

つまり日本は世界一のオートバイ王国なのですが、そのオートバイ王国で、小型バイクを中心にオートバイの需要が蒸発しようとしています。
軽自動車に押されて26年間低迷するオートバイ市場において、ハーレーだけが(2008年末現在で)23年ににわたり一貫して成長しているのです。

「教習所に行って大型(400cc超)バイクの免許を取る人のほとんどははハーレーに乗るため」という話があるのも、真偽のほどは不明ですが、頷けます。

次に示すグラフは最近のハーレーの販売動向を表しています(ハーレーダビッドソンジャパン、ホームページより)。
日本車の低迷をしり目にかなり成長してきました。塞翁が馬ですので今後も成長し続けるかどうかは分かりません。
販売台数

751cc以上のメーカー別登録台数

2000年から751cc以上の市場でシェアがナンバーワンに、2005年にはシェア33%となっています。

ポーターの見解
ハーレー復活の要因をポーターは

ハーレー・ダビッドソンは、BMWや他のライバルとは異なる製品デザインとマーケティングへのアプローチを採用している。それらの異なる活動こそがハーレーの競争の源泉なのである。活動の内容に明確な違いを伴わない戦略では優位性を保つことが難しい。
戦略は、独自のポジションを選択し、それに応じて活動を調整するということにとどまらない。戦略とは、顧客に価値を提供する上で、トレードオフ(二者択一)を行うことである。トレードオフが発生するのはいくつかの戦略的ポジションとそれらに必要な活動に整合性が欠けている場合である。つまり、一方のポジションを増強したければ他を減らさなければならない場合である。したがってトレードオフは、模倣の可能性を制限する。
(日本の競争戦略 マイケル・E・ポーター 竹内弘高著 ダイヤモンド社 2000年4月p138)

として、ハーレーの戦略を称賛しているのですが、ハーレーダビッドソンの社長、会長を歴任し1999年に引退したリッチ・ティアリンクが書いた「ハーレーダビッドソン経営再建への道」を読んでみましても、ハーレーの取った戦略はポーターが戦略ではないといっている「オペレーションの改善」であり、日本的経営の採用です。

ハーレーダビッドンジャパンの成功を支えてきた元代表取締役の奥井氏にしても(ご苦労なされたようではありますが)次のように

業界や学識者の方々には「業界の常識を非常識として考えて業界やライバルに挑戦し続けて来た」という印象をお持ちいただいているようですが、我々のやってきたことは極めて常識的なもので、その範囲を超える新奇の発明に類するものも、ましてや革命的なものはありません。さらに強調しておきたいのは「まず挑戦ありき」の姿勢をとってきたことは全くないという点です。
(巨象に勝ったハーレーダビッドソン ジャパンの信念 奥井俊史著 丸善株式会社 2008年1月)

と、あっさりとポーターのいう「明確な違いを伴う戦略」を否定してしまっているのです。

戦略論の本では称賛される、見事なマーケティング戦略――顧客との密接な関係を築き上げるファンクラブ――にしてもハーレー自らが考えたものではなく、顧客が考えたものであるらしいのです。

1980年代後半に、高級なステイタス・シンボルとして、また流行追随者のお気に入りアイテムとして、人気沸騰する以前のハーレーダビッドソンは、ブルーカラーのマシンという見かたが固定していた。たびたびの調査がしめすところでは、平均的なハーレーのオーナーは、低所得、低学歴で、日本製バイク購入者の平均よりはだいぶ年配だった。彼(女性はまれだった)は、政治的には保守で、自分をエスタブリッシュメントの末端で行動する独立思考の人だと思っている。アウトロー・クラブに所属するのは、パーセンテージからいってほんの少数だが、平均的ハーレー・ライダーは、70年代後半になると、もともとハードコア・ライダーがはじめたファッションに倣って、レザーとデニムで身を固めにかかった。おなじように、不機嫌なムードも発散していたが、おそらくそれは、すぐれた日本製マシンの猛襲にたいして、いつまでも老舗ブランドにしがみつく、時代遅れの野暮天ときめつけられているためだったろう。そこから生まれるのは、一種ひねくれたプライドで、ちょうどミネアポリスの市民が酷寒の冬を自慢したり、フェニックスの住民が、摂氏50度を超す電子レンジ並みの “さらっとした”暑さを誇るのに似ていた。
疎んじられ蔑まれたハーレーダビッドソンのライダーは、寄り固まって緊密な集団になった。その熱気あふれる堅陣のなかから、1977年にカリフォルニアの小さな愛好家グループが生まれ、“ハーレーダビッドソン・オーナーズ・アソシエイション” の名を冠した。その目的は、あらゆるタイプのハーレー・オーナーと手を結んで、いつまでも顧客から超然とへだたっているメーカーと、もっと親密なつながりを持とうというものだった。その小さなクラブの機関誌《ギヤ・ボックス》は、ハーレーのメカの欠陥を容赦なくたたき、会社首脳部を怒らせた。だが、そこにひとつの着想が生まれた――ハーレー・ファンをちゃんと組織化すれば、彼らを会社とそのポリシーに引き寄せることができるのではないか。これは最終的に、1980年代初頭の、会社によるハーレー・オーナーズ・グループ、略称HOGの結成にいたり、マーケティング戦略として大いに成功し、顧客をひとつの旗印のもとに結束させることになる。
(ハーレーダビッドソン伝説 ブロック・イェイツ著 村上博基訳 早川書房 2001年1月 p182-183)

ハーレーの見事な逆転にはには意図的な戦略はなかったということになってしまいます。
ポーターは見事な戦略にはトレードオフ(二者択一)が必要であると言っています。しかし、通常トレードオフには大きな方向転換が伴うのですが、ハーレーにはトレードオフを伴うような大きな方向転換はみあたらず、むしろその逆なのです。

ポーターのいういうようにハーレーは意図的にトレードオフ(二者択一)したのではありません。
イノベーションのジレンマの著書クリステンセンに聞けばハーレーは二者択一どころか、一つしか道は残されていなかったのです。
ハーレーは一時、巨人に成長したホンダに真っ向から勝負を挑んでいます

60年代後半から70年代初頭にかけて、ハーレーはホンダに真っ向から競争を挑み、イタリアのオートバイ・メーカー、アユロメカニアから買収した小型エンジン(150~300cc)付きバイク製品を生産し、成長中のローエンド市場に参入しょうとした。ハーレーは、自社の北米ディーラー網でバイクを販売しょうとした。ホンダのほうが生産手法にすぐれていた分、ハーレーが不利だったことはたしかだが、ハーレーが小型バイクのバリュー・ネットワークでシェアを確立することに失敗した最大の原因は、ディーラーの反対であった。ディーラーの利益率は、ハイエンド・バイクのほうがはるかに高く、小型バイクは、ハーレー・ダビッドソンの主要顧客にとってのイメージを損なうと考える向きが多かった。
(イノベーションのジレンマ クレイトン・クリステンセン 玉田俊平太監修 伊豆原弓訳 翔泳社 2001年7月 p9)

ホンダ、カワサキ、ヤマハが北米とヨーロッパで発売した小型オフロードバイクは、ハーレー・ダビッドソンやBMWが製造した強力な長距離用バイクに対する破壊的技術でした(イノベーションのジレンマ クレイトン・クリステンセン 玉田俊平太監修 伊豆原弓訳 翔泳社 2001年7月 p9)。

破壊的技術に攻撃されると、攻撃された方は滅び去る・・・というのがイノベーションのジレンマなのですが、どっこいハーレーは生き延びてしまったのでした。
逆に破壊的技術である小型オフロードバイクの市場が蒸発しかけているのです。

小型バイクについてはイノベーションのジレンマがいえるのですが、生き延びたハーレーのケースはイノベーションのジレンマというよりはイノベーションンのパラドックスなのです。

街で見かけた「ハーレー・ダビッドソン」
「写真をとらせて下さい」と言いましたら気軽に応じて頂きました

「安定の理論」による説明
ハーレーは、顧客が会社のロゴを一生消えない刺青で自分の体に刻みこむという、およそ常識では考えられない、私の知る限り世界で唯一の会社になってしまいました。

ハーレーのとった戦略は結果的には素晴らしいものです。
それでは、なぜ結果的に明確な違いを伴う戦略になってしまったのでしょうか。
高性能を追求した日本車の成功により、伝統的である(つまり故障は多いが2気筒でダサカッコイイ超大型バイクという)ハーレー独自のポジションが「創発」されてしまったのです。
つまり、ハーレーのケースはポーターのいうトレードオフが「創発」され、個性ある一種独特の存在感を醸し出すようになってしまった(完了形)というケースなのです。
トレードオフが創発されてしまっているのですからポーターが勘違いするのも無理はありません。

ハーレー乗りはオートバイに機能や品質の高さを求めたりしません。
彼らが求めているのは、伝統(多少欠陥があり、古臭い)で、ハーレー乗りは愛車に欠陥があることを承知して乗っており、しかもそれを楽しんでいるかのようなのです。

家の近くにハーレーの改造店がありますので、行って直にハーレー乗りに聞いてみました。
たった4人に聞いてみただけですので、統計的な有意性はなく、事実と異なっているかもしれません。

スピード
「スピードは日本車の方がいいよ。ハーレーって空気抵抗、考えていないでしょ。100キロを超えると風をもろに受けて、結構腕にくるよ」
そういえば、猛スピードで高速道路を走っているハーレー乗りは見かけない。

操作性
「ハーレーって何キロあるか知ってる?(軽量の)日本車の方がいいに決まってるよ」
特に、チョッパー(改造車)の操作性は最悪とのことです。
ただし、操作性が悪く、しかも1回転ぶと修理に10万は飛ぶので(真偽のほどは不明)気をつけて運転するらしい。
操作性より見た目が重要とのことです。

燃費
「排気量が大きい方が売れてるようだから、燃費は悪い方がいいんじゃないの」
原油高を気にする人はハーレーは乗れません。

振動
「振動が何ともいえないね」
尻のすぐ下に排気量1000ccを超える2気筒エンジンがあるのですから、振動はかなり激しく、80キロを超えると振動でロレックス(機械時計)が壊れるらしいのです

信頼性
「日本のメーカーがハーレー造ったらリコールになるんじゃないの」
日本車に比べ故障が多いだけではなく、ブレーキの効きも悪いう意見がありました。
ハーレー乗りはメーカーにクレームをつけないようです。

エンジン音
「低音がいいよ」
雑誌をみても「低音に魅了される」と、音にこだわるというのがハーレー乗りの習性です。
排ガス規制でキャブレターが変わるので、音が悪くなるのではないかと心配している方もいました(但し、真偽のほどは不明)。
アメリカで音の商標として有名なものに、ハーレーダビットソンの排気音が商標として認められたケースがあります。
ハーレーの排気音は独特です。
音の商標登録には ほかにもアメリカのNBC放送がラジオサービスを識別する3つのチャイム(ステーションジングル)などがあります
http://www.tokyo-keizai.co.jp/mt/news/

価格
「高いよ」
価格は高いが、部品の供給が長く修理が利くので却って経済的だという意見もありました。

東京でカメラマンの仕事をやっているジャック・ビーズリーは言っています。

ハーレーダビッドソンの特異なところは、それが天才の逆説的表現であることかな。つまり、古すぎるところがかえってあたらしく、伝統につかりすぎなところが、いっそトレンディなんだな。そう。本物なんだよ。
(ハーレーダビッドソン伝説 ブロック・イェイツ著 村上博基訳 早川書房 2001年1月 p283)

これはハーレーに限ったことではなく「安定の理論」そのものが天才の逆説的表現であるということです。

アメリカ製品で他に「安定の理論」が働いているものとしてジッポーのライターやギブソンのフォークギターがありますが、これらに共通するのはアンティークであり、時の経過とともに、「あたらしく」そして「トレンディ」になるということです。

「安定の理論」が働くケースは、変化しなくてもよいというケースなので戦略としては非常に楽であり究極のブルーオーシャン戦略であるともいえます(変化への誘惑に駆られて変化してしまうと失敗する場合もあるので忍耐が必要ですが・・・・)。

そこで、「安定の理論」について話をすると「私の会社も変化しなくてよいのか?」という質問がよせられます。
世の中変化しているのですから自社も変化するのが当然で、変化しなければ時代に取り残されてしまいます。
世の中変化しているのだから変化しないことが変化することになる、というのはパラドックスであり「安定の理論」が働くのはむしろ例外と考えた方がよいのです。

このように言うと、「では、どのようにしたら「安定の理論」が働く、つまり変化しなくてよい会社になれるのか?」との質問が待ち受けています。
全面的な「安定の理論」が働く会社になるか否かは時代が決めることであり、現時点(その時点)では予測不能です。成功は意図的に創られることもありますが、偶然に創られることもあるのです。

さらに「うちの会社に「(全面的)安定の理論」が成り立つでしょうか?」と質問されることがあります。
この質問に答えるのは簡単です・・・・競争曲線を描けばよいのですから。似たようなケースには業界や時代を超えて「似たような形」が現れるのです。

(注1)塞翁が馬
近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、此何遽不為福乎。居數月、其馬將胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、此何遽不為禍乎。家富良馬。其子好騎、墜而折其髀。人皆弔之。其父曰、此何遽不為福乎。居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦。近塞之人、死者十九。此獨以跛之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。

(注2)リーン生産
徹底的なムダの排除により生産性の向上、コスト削減実現する生産システム。MIT(マサチューセッツ工科大学)のジェームズ・P・ウォマックがトヨタの生産システムを研究し、日本の自動車メーカーが、欧米を追い抜く日が来ると予言したことから、欧米の自動車メーカーに衝撃を与えた。
大量生産による生産性向上・コスト削減と一線を画す。
lean=贅肉がなく引き締まった