4-1 ベンチマークとは

「ベンチマーク」とは「ゼロックスが自社の複写技術を経営手法にまで昇華させた」もので、他社の経営手法を本物より綺麗に「ゼロックスする」こと。
この定義の由来は後で・・・

 

「学ぶ」という語には二つの読み方があります。通常は「マナぶ」と読むのですが「マネぶ」とも読めます。学ぶと真似るは語源が同じなのです。
どんなに独創的で、絶対に人の真似などしないという人でも、その人が普通に何か言葉を話したら、それはその人の国のその人が生まれた地方の方言であり、それは親兄弟や近所の人の話し方をマネたものです。
人は生まれながらにして――「ミラーニューロン」――マネぶ(=モノマネ)神経細胞を持っているのです。
なお、このミラーニューロンの発見は、近年の神経科学における最大の成果の一つとも言われています(ミラーニューロンの発見 マルコ・イアコボーニ 塩原通緒訳 ハヤカワ新書 p336)。

日本の工業力の潜在的可能性を最初に説いた米国人は、1979年にジャパン・アズ・ナンバーワンを著したオハイオ州生まれのエズラ・F. ヴォーゲルではなく、それより100年以上も前、嘉永6年(1853年)と同7年(1854年)に黒船で徳川幕府に開国をせまった、ロードアイランド州生まれのペリー提督です。
ペリー提督は「遠征記」のなかで、日本の工業化の潜在能力について次のように評しています。評するというよりは、ほとんど予告です。

「実用的ならびに機械的分野の諸技術において、日本人は素晴らしい手先の器用さを備えている。彼らの使う道具の粗末さや、機械に関する不十分な知識を考慮に入れるならば、日本人の持つ手作業の完全さは驚異的なものと思われる。
日本の職人は、世界のどの国にも引けをとらない腕前を持っており、彼らの発明的能力がもっと自由に発揮されるならば、世界の最も進んだ製造業国と肩を並べる日も遠くないことであろう。
他国民の物質的進歩の成果を学び取ろうとする旺盛な好奇心と、それらをすぐに自分たちの用途に同化させようとする進取性からしても、彼らを他国との交流から隔離している政府の方針が緩められるならば、日本人の技術はすぐに世界の最も恵まれた国々と並ぶレベルに到達するであろう。
そして、ひとたび文明世界の過去から現在に至る技術を吸収した暁には、将来の機械技術進歩の競争をめぐり、日本は強力な競争相手として出現することになるであろう。」
(伝記 ペリー提督の日本開国 サミュエル・エリオット・モリソン著 座本勝之訳 株式会社双葉社 2000年4月 P444)

さて、気になるのは「他国民の物質的進歩の成果を学び取ろうとする旺盛な好奇心と、それらをすぐに自分たちの用途に同化させようとする進取性」というペリー提督の日本人観察です。
日本人がこのペリー提督の観察どおりのことを忠実に行ったところ、やはり予告どおり大変効果的であったということを、百数十年後、アメリカの経営学者が発見しました。
ペリー提督の日本人への観察は、同じアメリカ人の経営学者に「ベンチマーク」と名づけられ、戦略論の教科書にたびたび登場することになります。

実務的には1980年代から90年代に大いにもてはやされましたが、今世紀に入り、以前にも増して、ひそかにもてはやされているようです。
実際にベンチマークという言葉は戦略論の書物のいたるところに顔を出しています・・・概ね侮蔑の思いが込められていますが・・・・

ベンチマークとは
ベンチマークというのは耳慣れない言葉ですが、もともとは土地測量の水準点(目印)を指します。
コンピューター業界ではハードウェアやソフトウェアの処理能力を測定・比較する標準処理のことをいいます。
戦略論でいうときは、先の誰もが生まれながらに持っている神経細胞「ミラーニューロン」全開の模倣戦略であると解して差し支えありません。
つまり、競合にこだわらず業界を越えた模倣であること、単なる製品の模倣に限らず業務プロセスも含まれること、ベスト中のベスト「DANTOTSU(ダントツ)」の模倣であることです。

ゼロックス社に勤務し、ベンチマーク手法開発の指揮を執った「ベンチマーキング」の著者ロバート・C・キャンプは次のように言っています。

自社が属する業界にこだわらず、経営手法、プラクティス、工程に関するアイデアを広く探し出すアプローチに、日本人は特別の名前をつけていなかった。だがそれは何回となく繰り返され、各社のニーズに合わせて転用、統合、洗練されていった。目にとまったアイデアはみんなで真剣に討議され、観察事項が注意深く文書や写真に記録された。この一貫した活動は、絶えず総合的に行われたのである。
新しいアイデアを常に探し求め、すぐれた点があれば、躊躇せずにそれを模倣、応用してベストの中のベストを実現する。日本人が始めたこのアプローチを、今、アメリカではベンチマーキングと呼んでいる。
(ベンチマーキング ロバート・C・キャンプ著 田尻正滋 PHP研究所 1995年10月p3)
プラクティス:会社の業務慣習

要するに、ベンチマークはフロンティア精神旺盛のアメリカ人が考え出したものではなく、モノマネ好きの日本人が考え出した、ということです。

万葉以前から、日本人は海外の技術・文化を抵抗無く吸収し、日本独自のものにアレンジしてきました。
明治維新以後は欧米の技術・文化を積極的に導入し、特に第二次大戦後は戦勝国の技術・文化の導入に拍車がかかったのも事実です。

日本人は視察が好きで、多くの企業が欧米に視察団を派遣し優れた技術を日本に持ち込みました。
このような視察は通常、同業者団体、企業グループ、商工会などの団体で行われていました。
確かに、外国製の機械を分解し、構造を研究し、それ以上の製品に仕立て上げようと努力してきました。
日本企業は欧米の優れた技術を導入し、これを日本人特有の文化である「協調」「和」によって吸収消化し、高品質という付加価値をつけて世界に送り出してきました。

このような模倣を昔(舶来品や洋モクという言葉が普通に使われていた頃)日本人は「日本人はモノマネがうまいと」半ば自嘲的に自認していましたが、まさかこの模倣に「ベンチマーク」「ベスト・プラクティス」という名前が付くとは思っていませんでした。

しかし、日本であみ出された経営手法は当の日本人には気がつかないことが多く、しかも外国人による説明の方が理論が純化されていて分かりやすいことは確かです。
しかし、日本人がベンチマークをあみ出したというキャンプの言い分には、日本人なら、頷きながらも若干の反発を覚えることでしょう。そこで・・・・・・

ベンチマークという手法をあみ出したのはゼロックス社です。欧米ではいまだにコピーすることをゼロックス(動詞)と言うそうです。goo辞書で「Xerox」の意味を調べましたら「複写する、コピーをとる」とありました。
つまり「ベンチマーク」というのは「ゼロックスが自社の複写技術を経営手法にまで昇華させた」もので、他社の経営手法を本物より綺麗に「ゼロックスする」ことなのです。
・・・・・・書いていて空しくなるような微力な抵抗です。

ベンチマーク批判
実際に戦略論におけるベンチマークの取り扱われ方はひどいものです。
コア・コンピタンス経営を説いたハメルとプラハードはベンチマークを厳しく批判しています。批判というよりは蔑視といった方がよいかもしれません。

改善よりも縮小を先行させた会社がある。また競合他社との違いを出すことよりも業務改善を優先させた会社もある。ゼロックスを考えてみよう。1970年代から80年代にかけて、ゼロックスはキャノンやシャープなどの日本メーカーにシェアを大きくくわれた。このままでは世間から忘れ去られてしまうことに気がついたゼロックスは、ベンチマーキング
(他社の優れたパフォーマンスに学ぶ改善活動)と業務プロセスの根本的なリエンジニアリングを行った。1990年初めには、ゼロックスのコスト削減、品質改善、顧客満足に向けた数々の活動成果は教科書的な成功事例になった。「アメリカのサムライ」と呼ばれた新生ゼロックスについては議論がいろいろあるが、次の二点が欠けていた。第一に、確かにゼロックスはマーケットシェアの低下に歯止めをかけたが、一度失ったマーケットシェアを奪い返すことはできなかった。今でもキャノンがコピー機生産台数では世界一だ。第二に、ゼロックスはレーザー印刷技術、ネットワーク技術、アイコンを用いたコンピューター技術、携帯型コンピューター技術の先駆的な会社だったのにコピー機以外に大きな事業を創造できなかった。現在、我々が当然のように慣れ親しんでいるオフィス環境はゼロックスの発明と言っても過言ではない。にもかかわらず、ゼロックスはこのような発明からほとんど利益を得ていない。恐らくゼロックスは多額の研究開発投資の成果をビジネスとして生かせずに無駄にした最たる会社だろう。
(コア・コンピタンス経営 未来への競争戦略 ゲイリー・ハメル&C・K・プラハラード著 一條和生訳 凸版印刷 2001年1月)

ベンチマーク批判はそこらじゅうに転がっています。日本企業で戦略があるのは数えるほどであると言っている戦略論の大御所ポーターも、

日本企業は、品質とコストを同時に改善するというオペレーションの効率の視点からのみ競争をとらえているため、競争において持続的な成功を収めることを自ら極めて難しいものにしてしまっている。ベンチマークを実施すればするほど、企業は似通ってくるのだ。
(日本の競争戦略 マイケルEポーター 竹内弘高著 榊原磨理子訳 ダイヤモンド社 2000年4月 p123)

と、ベンチマークには冷ややかです。
ポーターに辛口でからみつくミンツバーグにしても「日本企業は、戦略を学ぶどころか、ポーターに戦略のイロハを教えてあげるべきではないか」とかなり過激な批判のたった3行下で、

(ポーターは)多くの企業にみられるベンチマーキング、横並び主義、そして模倣する、といったことを露骨に否定している。これは歓迎すべきコメントである。
(戦略サファリ ヘンリー・ミンツバーグ 齋藤嘉則監訳 東洋経済新報社 1999年10月 p124)

と、やはりベンチマークの批判には賛同の意を表しています。

さて、レッドオーシャンとは企業の流した血で真っ赤に染まった海のことで、血を血で洗うような激しい競争状態をいいます。
これに対してブルーオーシャンとは競争のない青々とした海のことであり、その企業のユニークな戦略により他の企業との競争から離れた競争のない状態をいいます。
「ブルーオーシャン戦略」を著したW・チャンとレネ・モボルニュからもベンチマークに批判が来ています。

ブルーオーシャンを切り開いた企業は、競合他社とのベンチマークを行わず、その代わりに従来と異なる戦略ロジックに従っていた
(ブルーオーシャン戦略 W・チャン レネ・モボルニュ 有賀裕子訳 ランダムハウス講談社 2005年6月p31)

しかし、この本の第1章冒頭に登場する「シルク・ドゥ・ソレイユ」はオリンピックの体操競技のベンチマークで、実際にオリンピックのメダリストを数多く擁しています。

これらの批判はベンチマークに対する正当な批判ではありません。
ベンチマークは自社の弱みの領域における理論です。たとえばホームページを開設しているとします。
サイトユーザビリティが劣る、あるいはSEO対策が不十分などの理由によってヤフー検索やグーグル検索での検索順位が上がらなければ、自社の業界に限らずあらゆる業界のホムペ―ジを「参考にさせて頂く」か知り合いに聞いたりして「学ぶ」方が得策であるということは、誰も言わない「常識」です。