ロシア人の経営者を対象にしたセミナーで一通り競争曲線の説明をした後、自社の競争曲線を作成の実習をしました。
3社ほど希望者を募って、作成手順をプロジェクターで映し出しながら、受講生全員に作成方法を具体的に説明します。
通訳を通した作成なので、若干時間がかかりましたが、それでも30分くらいで3社の競争曲線が作成できました。
作成するのが早いのが競争曲線の特徴です。
3社も作成しますと他の受講生も作成の要領が分かります。
そこで「皆さんもこれと同じように作成して下さい」と指示し、受講生は作成にとりかかりました。
しばらくしてある受講生から「競争相手が見つからないのですが・・・」という質問があったのです。
少々たじろぎながら、この受講生の質問の回答として「戦略論というのは文字通り戦争の理論から来ています。
ロシアでも仮想敵国があり、この仮想敵国に標準をあわせて兵器を装備し、軍隊を配置しているはずです。
仮想敵国つまり相手によって装備する兵器、軍の配置が全く異なるはずです。
もしロシアがロシアから遠く離れた南アフリカや南太平洋の小さな島国を仮想敵国としたならば、決定的な戦略ミスとなります。
適切な競争相手を見つけて下さい」と答えました。
この質問は私にとっては不意打ちの質問で、回答はとっさにお茶を濁しただけで質問の答えになっていません。
しかし、この回答で受講生が納得してしましまいましたので「競争相手は誰か」の議論は打ち切られ、講義が続きました。
この予想外の質問を受けたことで「競争曲線には致命的な欠陥がある」と思ったほどです。
それ以前にも、日本の中小企業の経営者からは「競争相手が見つからない」という詰問にも似た質問に遭遇してきました。
このようなときは「どこでもよいですから適当に決めて下さい」と受け流してきたのでした。
日本人が競争の意識が薄いというのは多くの研究者(藤本隆宏氏、青島矢一氏、そしてポーター氏)が指摘しています。
私はこれを日本人が農耕民族であるからだと考えていました。農業で必要とされるのは共同であり競争ではありません。
競争意識が薄ければ競争相手が見つからないのも頷けます。
ところが質問してきたのは普段私が接しないロシア人です。
普段であれば「またか・・」と受け流していたかもしれません。
・・・・「競争相手は誰か?」という問いが戦略論の核心に触れる問いであるということに気付くのに、しばらく時間がかかりました。
競争戦略を考える上でもっとも基本的なポイントは「誰が競争相手か」を明確にさせることである。戦略の全体が、明確にある競争相手(あるいはそのグループ)に焦点をあててつくられているか、そして実際にその競争相手を相手に回して、戦略が実行されているか、という点である。 製品戦略はある競争企業グループを相手に想定してつくられているのに、広告戦略はあたかも別の競争企業を想定してつくられたかのごとくである、というようなたぐいのことはよくある。高級指向の製品を扱う商店が安物のチラシでスーパーを敵とみたてたような新聞折込広告をする、といった具合である。 あるいは、第二次世界大戦前に日本陸軍は基本的には主たる仮想敵国をソ連として戦略展開の準備をして、実際には南太平洋で米国と戦った例などは、軍事の例であるが戦略の立案と実行の二つのプロセスで、競争相手が変ってしまった例の一つである。「相手との違い」が競争戦略のエッセンスである以上、その「相手」が誰であるかが明確になっていること、また「相手」の取り違えをしていないことは、的確な戦略の発想のためにもっとも基本的なことである。」 (新・経営戦略の理論 見えざる資産のダイナミズム 伊丹敬之著 日本経済新聞社 1984年) |
この記述は私がロシア人の受講生に答えた内容とかなり似ています。
競争戦略について語る場合、最も基本的な質問の1つは、自社は他社と比べてどのような優位性をもっているかということだ。ダイナミックな環境にあっては、優位性の源泉やその特徴も急速に変化していく。ライバルと比較した場合の自社の優位性を分析するためには、まずどの企業が自社にとってライバルなのかをはっきりさせなければならない。 (ウォートンスクールのダイナミック競争戦略 ジョージ・デイ/デイビッド・レイブシュタイン編 小林陽太郎監訳 東洋経済社 1999年10月) |
・・・「競争相手は誰か」という問いは戦略を語るときの中核的な問いなのでした。
ところが、従来のSWOT分析にしても競争相手を意識しなくて作成できてしまいますし、バランス・スコアカードの戦略マップにしても競争相手なしで作成できます。
競争曲線を作成しようとしますと必然的に「競争相手とは誰か」という、戦略論の琴線にふれる「壁」に突き当たってしまうのです。
なぜ競争相手が見えないのか
過去に競争相手が見えづらいと言われた経営者は「競争相手がいない」経営者と「競争相手が多すぎる」経営者です。
つまり競争がない場合と、(競争者が多いという意味で)競争が激しい場合に競争相手が見えなくなるのです。
競争がない場合とは、競争優位があり実質的に競争相手がいない場合と、事業がユニークであり同業者がいない場合があります。
どちらも実質的に競争相手がいないのですから、あえて競争相手を想定しなくてもよいでしょう。
意外なのですが、業績が苦しくしかも競争相手も多い(従って競争が激しい)企業も競争相手が見えづらいという傾向があります。
「なぜ競争相手が見えないのか?」この問いに対してはいくつかの理由があるかと思います。
① 伝統的な経営学では競争相手が誰かについて、その重要性を指摘する本が少ない
② 競争領域の境界線が曖昧となっている
③ 競争相手に対し規模で圧倒的な競争優位が構築されている
④ 事業に特異性があり実質的に競争相手がいない
⑤ 競争相手が多い
⑥ 経営者が日常業務の罠にはまっている
①
伝統的な経営学では競争相手が誰かについて、その重要性を指摘することが少ない
アメリカのMBAコースでは年間数百にのぼるケースを研究するようです。
多くの経営学の本にも実にさまざまなケースが紹介されています。ケーススタディの妙味は、競争相手に対しどのような戦略が策定され、どのように展開されたか、ということを疑似体験するということにあり、具体的かつ実践的です。
・・・・が、盲点が一つあります。ケースタディでは「競争相手は誰か」ということが所与の出来事として扱われているということです。
洋の東西を問わず、多くの経営学書に孫子の兵法の一節「敵を知り己を知らば百戦して危うからず」が引用されていいますが、この場合の「敵を知る」は「敵の何」を知るという意味で使われており、「誰が敵か」という意味で使われている例はありません。
ケーススタディは物語です。
物語であれば登場人物はあらかじめ決まっています。
ところが、戦略を策定するということは、これから物語を創りあげるということなのです。
登場人物を誰にするかによって物語の内容が全く違ってきてしまうのです。
しかも、経営学書で扱われているケースに登場する企業は「成功した」誰でも知っているような企業です。
これが名もない企業でしたら読む方も、書く方にもつらいことになります。
読む方も、自分が知っている有名企業が、なぜ大成功したのか、あるいは大失敗したのかについてワクワクするのですし、これが、名も知らない企業の小さな成功(だから有名ではない)では面白みに欠けます。
書く方も、名も知らない企業の内容について一から説明するのは大変でしょう。事例を探すこと自体が難しいかもしれません。
有名企業であれば競争相手も有名企業であり、「競争相手は誰か」などという疑問は出てきません。
トヨタの競争相手が日本国内ならばニッサン、ホンダで、世界市場ならGMやフォードであることは誰でも知っています。
戦略の定義にしても競争相手が意識されていません。ざっと挙げてみましょう。
戦略とは:「戦争の全体計画、個別の活動方針、およびそれらのなかでの個別具体的行動計画」(Vori Clausewitz 1976:177) 戦略とは:「そのプレーヤーが、すべての可能な状況の下でどのような選択肢を選ぶかを明示する包括的計画」(Von Neumann and Morgenstern 1944:79)戦略とは:「長期的視野に立って企業の目的と目標を決定すること、およびその目的を達成するために必要な行動オプションの採択と資源配分」(Chandler,1962)戦略とは:①組織の基本的ミッション、目的、目標の策定、②それらを達成するための政策と行動計画、③それらの組織目標を達成するために戦略が実行されることを担保する方法論」(Steiner and Miner, 1977:7)戦略とは:「企業の基本的目標が達成されることを確実にするためにデザインされた、包括的かつ統合されたプラン」(Glueck,1980:9)戦略とは:「無数の行動と意思決定のなかに見出されるパターン」(Mintzberg and McHugh, 1985:161) 戦略とは:「組織の目標を達成するための方法」(Hatten and Hatten 1988:161) 戦略とは:「組織の意図された目的を満たすために、策定された計画と取られた行動」(Miller and Dess,1993:5) 戦略とは:「コア・コンピタンスを活用し、競争優位を獲得するため設計された、統合かつ調整された複数のコミットメントと行動」(Hitt,Ireland, and Hoskisson, 1997:115) 戦略とは:「将来の構想とそれに基づく企業と環境の相互作用の基本的なパターンであり、企業内の人々の意思決定の指針となるもの」(大滝他, 1997) 戦略とは「企業が考えた競争に成功するためのセオリー」(J B.Barney 2002) http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~shintaku/lecture/strategy/1definition/1definition.pdf(最終アクセス 2008年1月31日 |
中には競争相手を意識した定義もあるのですが、ほとんどの戦略論の定義が競争相手を明確に意識していない、ということがお分かりになるかと思います。
②
競争領域の境界線が曖昧となっている
次のように競争領域の境界線が曖昧となっている場合も、競争相手を特定するのは難しいでしょう。
経営者が直面している最大の課題の1つは、「いかに正確に競争領域の境界線およびその構造を決定するか?」である。それができて初めて、ライバルについて理解し、先行し、対抗することが可能になる。また、現状の競争のルールを覆すような、大きな状況の変化を見落とすことも避けることができる。 ある競争領域は、わかりやすい境界線で仕切られていて、競争相手もはっきりしている。業界分析や競争戦略分析についての多くの古典的な研究は、このようなケースを取り扱っている。使い捨てオムツ業界のプロクター・アンド・ギャンブル社(P&G)とキンバリー・クラーク社(Kimbery Clark)の対決や、家庭用電気器具業界のワールプール社(Whirlpool)の戦略などは、非常にわかりやすい。ソフトドリンク業界のペプシとコカコーラのコーラ戦争も同様である。世界中でさまざまなソフトドリンクのマーケットシェアを争って非常に俄烈な競争を繰り広げはしたが、彼らははっきり特定できる競争領域で、明確なルールに従って競争しているのである。 競争がよりダイナミックになると、競争領域の境界線はあいまいになり、競争相手を特定するのも次第に困難になる。すべての業界はだんだんと混ざりあい、重なり合ってきている。以前は明確であった事務用品、家電製品、通信機器、エンタテイメントなどの境界は次第に消失してきている。パソコンはその機能があまりにも進歩したため、今やエンタテイメント機能ももった消費者のための道具であると同時に、オフィスで使用されるビジネス用の道具にもなった。消費者金融の市場の境界線もあいまいになってきている。ケミカル銀行はマイクロソフトやAT&Tをライバルとして認識すべきだろうか?」 (ウォートンスクールのダイナミック競争戦略 ジョージ・デイ/デイビッド・レイブシュタイン編 小林陽太郎監訳 東洋経済社 1999年10月) |
競争領域の境界線は製品の機能面だけではなく、地域的にも曖昧になってきています。
東京近辺の縫製業の経営者向けにセミナーを行いましたが、参加された経営者は一様に「中国の進出によって打撃を受けている」と言っていました。
中国からの攻撃は、縫製業に携わる方でしたら誰でも知っている事実なのですが、それでは中国のいったいどの企業と競争しているかというと、皆目見当がつきません。
グローバル化やインターネットにより地域的にも競争領域の境界線は曖昧になっているのです。
③
競争相手に対し規模で圧倒的な競争優位が構築されている
自社が規模で圧倒的に優位である場合、つまり競争相手が小さすぎる場合には、競争相手は相手にされないか無視されます。
実際に、圧倒的に競争優位にある企業が競争劣位にある企業を競争相手として戦略を立てるでしょうか?
もし、アサヒビールが地方の地ビール相手に戦略を立てたのなら、現在直面しているキリンビールに対する戦略とは齟齬をきたすことになります。
地方の名もない地ビールは無視するというのが現実的でしょう。
アサヒビールの競争相手は実力が拮抗しているキリンビールやサントリーです。
自動車で日本がアメリカに進出したときも、ビッグスリーは日本車を脅威とは感じていませんでした。
これを「ビッグスリーの油断」と指摘するのは簡単ですが、それは、後から見れば油断であったかもしれませんが、進出当時はアメリカ人のみならず、日本人も、まさか日本車がビッグスリーの脅威になるとは思ってもいなかったしょう。
1959年5月発行の「自動車物語」(メリル・デニソン著 時事通信社)の訳者井戸剛氏が追補『アメリカ旅行の印象』でこんなことを述べています。
「ロサンゼルスでは、全体からみると数はごく少ないが、トヨペット・クラウン・デラックスおよびダットサンの両日本車が、ときおり見受けられる。近い将来これらの日本車が「物好き」の域からから脱するようには思われないが・・・」
昭和1959年当時、自動車王国のアメリカで日本車を乗っていたら確かに「物好き」であろうということは、日本人である私も同感です。フォードなどはトヨタの車をみて「ジャンク」と一蹴したこともあるのです。そのトヨタが数十年後、売上でフォードを抜き去り、さらにGMをも抜いて、世界最大の自動車メーカーになるなどとは、誰も予想していませんでした。
圧倒的な競争優位が構築されている場合には、競争相手から後にどのような反撃があるかは別として、競争相手が見えなくなります。
④
事業に特異性があり実質的に競争相手がいない
大手の入ってこれない「ニッチ」で成功している企業によく見られるパターンです。
リヤカーを販売している企業は日本で実質的に一社のみですので競争相手はいません。
また、地方のスーパーで、商圏の規模が小さいためその商圏内では一軒しか成り立っていかず、他のスーパーの参入が考えられないような場合にも、競争相手はみつかりません。
⑤
競争相手が多い
実は、同じレベルの競争相手が大勢いる場合には競争相手が見えづらくなってしまうのです。
一般的に企業は業界による分類の他に、規模によって、大企業、中企業、小企業に分類されることがあります。
大企業と呼ばれる企業の数は少なく、中企業から小企業にいくにしたがって企業数は爆発的に増えていきます。
企業の規模別の構図は、一握りの大企業と無数の中小企業からなっていると言っても過言ではありません。
規模別の競争をボストンマラソンに例えると、大企業の競争は先頭集団の競争です。上位何位か競争ですので、競争相手を明確に意識することができます。
先頭集団の競争は相手の背中が見える、あるいは後ろから足音が聞こえるといった競争相手が見える競争で、少人数での熾烈な競争が繰りひろげられます。
中小企業の競争は、ボストンマラソン(参加人数1万5千人、ちなみにシカゴマラソンの参加人数は4万人)での中位以下の競争です。
数千人の中から競争相手を選ぶのは容易ではありません。
競争相手が多すぎて競争相手を特定すること困難になります。ボストンマラソンでは完走すれば完走賞をもらえるのですが、企業間競争では集団からの脱落は倒産を意味します。中小企業は企業数が多いという意味では熾烈な競争をしているのですが、多すぎると競争相手を特定できないのです。
競争相手が多すぎて、競争相手を特定できないということは、戦略の策定をより困難にします。
しかし、これが自社にとって不都合かというとそうでもなさそうなのです。
競争相手を特定できないというのは、相手にとっても同様で、こちらの行動を監視していません。自社が戦略的行動をとっても相手は気がつかないようなのです。
⑥
経営者が日常業務の罠にはまっている
コラムで説明します