2001年7月と少し前の話になりますが、外務省の関係で経営学を教えにキリギス(通称キリギスタン)に行きました。
キリギスというのは、ちょうど秋田県あたりを西にまっすぐ進み、日本海を越えて、ゴビ砂漠も越えて、中国西部の天山山脈を越えたあたり、中央アジアに位置する人口550万人ほどの小さな国です。
キリギスには「キリギス人と日本人は元々同じ民族で、肉を食べる民がキリギスに残り、魚を食べる民が東に行って日本人になった」という言い伝えがあります。
キリギス人と日本人は本当にそっくりで、思わず日本語で話しかけたくなるくらいです。
キリギス人がかぶっている帽子は厚手の羅紗で、ユリの花を逆さまにしたような、縦長の奇妙な形をしています。日本でこの帽子をかぶって街を歩いた非常に目立つこと請け合いです。相当違和感があったのですが、この帽子かぶって街を歩いたところ、だれも見向いてくれません。なにしろ日本人とそっくりなキリギス 人だらけですので、自分がすっかり街に馴染んでいるのが分かります。何度かキリギス語で話しかけられました。
講義は5日間連続で、午前9時から午後4時まで。講義の合間に休憩はあるものの結構ハードです。最終日に、通訳がぜひ行きたいというので、私もお伴するかたちで、キリギス東部のイシククル湖へ日帰りの小旅行をしました。
この湖は全長160キロ、幅60キロという大きな湖で、旧ソ連時代は高級官僚の保養地でした。雄大な天山山脈の万年雪を見てきましたが、講義に疲れ果てて、とても旅行気分ではなく、日本に帰ってきて時差ぼけと疲労で2日間寝込みました
さて、5日間の講義の中盤あたり、経営理念や、当時最新のインターネットビジネスから「競争戦略」へと話が進んだときのことです。
競争戦略の話ですから「競争戦略」という言葉が何回か出てきます。私も、ごくごく普通に、当たり前のように「競争戦略」という言葉を使っていました。
一通り説明し、何か質問があるかと受講者に聞いてみたところ、一人の女性経営者が手を挙げて立ち上がり、「西側(通訳はこのように訳しました)の経営学は『戦略』だとか『競争』だとか、殺伐としていて闘争的だ」というではありませんか・・・となりの経営者も「ウンウン」と頷いています。
競争が嫌いで「和を以て貴しとなす」的な日本人からこのような指摘を受けたのならば、「またか・・・」と思い聞き流していたことでしょう。
外国人からこのような指摘を受けるとは・・・不意打ちを食らったような、ちょっとした驚きを感じました。
いくら経営学の学術用語といっても、「戦略」という戦争用語の前に、「競争」という、何か人を蹴落とすかのような単語がついているのですから、当然といえば当然でしょう。
しかし、まさか外国人から指摘を受けるとは・・・・・
「それはあなた方が経営戦略というものを知らないからだよ」と、上から目線で聞き流すこともできるのですが、私にとっては、新鮮な疑問に聞こえました。
このような疑問をもって、改めて山のように出版されている戦略論の本を見渡しますと、戦略論の前提となる競争の本質――一体どのような競争なのか――について「適切に」触れられている本が皆無であることに気が付きます。
「競争嫌いの日本人」という調査結果がありますが(競争と公平感 大竹文雄著 ダイヤモンド社 2010年3月 p3~43参照 (ちなみに「競争嫌いの日本人」というのはこの本の第1章の見出しになっている))、日本では「競争=悪」のイメージがすっかり定着しています。
著名な数学者が、究極の競争社会はケダモノ社会などと書いた本がベストセラーになったりしました(国家の品格 藤原正彦著 新潮新書 2005年11月 p26参照)。
競争戦略の話をしますと時折「競争というのはよくない」との指摘を受けることがあります。確かに競争という言葉からは叩き合いのイメージがぬぐいきれません。
これに、さらに殺伐とした戦争を連想させる「戦略」という語が付くのですから、企業と企業の間で今にも銃撃戦が始まりそうです。
以前、ある女性経営者に「経営学ではなぜそんなに戦争用語が出てくるのですか?」と聞かれたことがあります。
とくに戦争用語は使った覚えはありませんでしたので、理由をお尋ねしましたら「『戦略』というのは戦争用語ではありませんか?」・・・確かにその通りです。
そもそも、戦略(strategy)というのは本物の戦争由来の軍事用語で、その語源はギリシャ語の「将軍」を意味するstrategosに由来し、戦略ということばを一般的にさせたのは、プロイセンの軍人であり軍事研究家でもあるクラウゼヴィッツ(1780~1831)だとされています。
「戦略」という のはもともと本物の戦争=軍事用語に由来するものなのでした。
戦略論に触れたことのない、普通の感覚を持つ方の指摘は貴重です。
大学の「競争戦略」のゼミで「競争」「戦略」というのは攻撃的だ、と教授に指摘する学生はいないでしょうし、万一、このような指摘を受けたとしても教授は「何言っているの?ここは競争戦略論のゼミだよ」と一蹴することでしょう。
戦略論を専門的に研究すればするほど、要するにプロになればなるほど、戦略論の前提となる競争の本質が忘れ去られていくようです。
「一体どのような競争をしているのか?」・・・キリギスでの指摘はこの点に関して深く考えさせられる指摘であり、その後、戦略論を統合するにあたっての重要なアイデアに辿りつく、貴重なきっかけとなりました。
戦争と企業間の競争(以下「企業間競争」といいます)とは根本的に異なります。
企業間競争が熾烈を極め、ときに「戦争と同じ」と表現されることがあっても戦争などではでは決してありません。
本物の戦争の話です・・・。南米のホンジュラスとエル・サルバドル、この両国は1970年に開催されるワールドカップの出場権をめぐってサッカーの試合をしていました。
1969年のことです。第1回戦はホンジュラスで行われました。ホンジュラスのサッカーファンはエル・サルバドルチームの宿泊するホテルの 前で、一晩中爆竹や車のクラクション、シュプレヒコールでわめきたてました。
これではエル・サルバドルチームの選手は寝られません。翌日、ホンジュラスは1-0で睡眠不足のエル・サルバドルを破りました。
1週間後、リターンマッチがエル・サルバドルで行われました。
開催国側であるエル・サルバドルは前回の試合で受けた仕打ちの仕返しとして、ホンジュラスの国旗のかわりに「ぼろぼろのふきん」を掲揚しました。
第2回戦は3-0でエル・サルバドルの勝ち。
翌日、エル・サルバドルはホンジュラスを空爆。両国が戦争に突入しました。
ちなみに、同じ軍服と同じ武器を持った軍隊が戦ったそうです(その上、両国の人々は同じような顔つきで同じスペイン語を話します)・・・・
これが100時間続いた、史上最もバカバカしい戦争といわれる「サッカー戦争」です。(サッカー戦争 リシャルト・カプシチンスキ著 北代美和子訳 中央公論社 1993年8月 p169~200)
「サッカー戦争」(この戦争の裏には両国の難民問題などがありました)でみるようにサッカーでも戦争が始まります。
戦争の原因、戦争がなぜ始まるかについてはさまざまな思惑が働いて、一概には言えないのですが、旧来の戦争は主に土地(とそこから得られる利権)をめぐる争いです。
土地は増産されませんので、欲しいと思えば奪い合うしかありません。
土地を占有したい人同士での直接的な殺し合いが始まります。
競争相手に対する直接的な力の行使です。
戦争は基本的に領土をめぐる殺戮ですので、企業間競争とは競争の本質が異なるのですが、「戦略」という言葉が戦争に由来しているため、戦略論の本には戦争用語が氾濫しています・・・分かりやすいからです。
これが飛躍しますと銃撃戦で企業間競争を説明しようとする奇妙なコンサルタントがアメリカでも日本でも出てきます。
経営者やサラリーマンが自動小銃を肩にかけて出社し銃撃戦を繰り広げる・・・ビジネス街の東京の八重洲や大阪の船場でスーツを着た戦死者の山を見たことがあるでしょうか?
相当以前の話ですが、私の従兄弟がアルバイト先からコカコーラの缶を模した赤いサンドバックをもらってきて、軒(といっても鉄骨です)からぶら下げてボクシングの練習をしていました。
さてこのサンドバックですが、なぜ柄がコカコーラかといいますと、従兄弟のアルバイト先がペプシコーラだったからです。
ペプシコーラではコカコーラをサンドバック見立てて殴っていたのでした。
しかしながら、ペプシコーラができることといったら、せいぜいコカコーラをサンドバックに見立てて殴る程度で、ペプシコーラの幹部が部下を引き連れて、コカコーラに殴り込みをかけるということはありません。
せいぜいできても味比べやネガティブキャンペーン程度でしょう。
ネガティブキャンペーンにしてもやり過ぎると自社の品格を落とし、却って逆効果になってしまいます。
戦争は双方が直接的に武力を行使し合う直接闘争なのですが、意外にも企業間競争は直接闘争ではなく間接競争です。
どんなに競争が激しく、ときには「戦争と同じ」と表現されることがあっても、相手に対して直接的に武力を行使することはありません。
土地の奪い合いで例えますと、戦争では実際に戦ってどちらか勝った方が土地を占領できます。しかし、あえて占領という言葉を使うなら、企業間競争では顧客のマインドを占領するための競争です。
企業間競争ではどちらが勝つかは「土地(人)」が選ぶという、選ばれるための競争になります。
このときの「土地(人)」の選択基準は、兵力かも知れませんし、軍服の柄、兵士の容貌、あるいは兵士の態度や言葉づかいかも知れません。兵士の笑顔で競争に勝つということもあるのです。