行動済学の分野では、人が利己的なだけではなく、利他的にも行動するということについて、様々なゲーム的な実験を通じて実証されてきています。
次のゲームは最終提案ゲーム(研究者によって最後通牒ゲームということもあります)という実験ゲームです。
ルールはいたって単純で、登場人物は見知らぬ他人のAとBの2人だけ(ゲームには登場しませんがゲームの主催者=黒幕がいます)。
(1)Aに現金を渡し、
(2)Aは渡された現金のうちから、いくら渡すかをB提案する。
(3)Bがこの提案を受け入れれば、分配成立でAとBは分配額を受け取ることができる。Bが提案を拒否すれば分配不成立で現金は没収される。
実際に金額を入れてやってみましょう・・・・
(1)まずAに1000円渡す。 (2)Aは1000円のうち、いくらを差し上げるか金額をBに提案する。たとえば、Aは受け取った1000円のうち、1円をBに差し上げると提案したとする。 (3)Bがこの提案額に満足して1円を受け取れば分配成功で、Aは999円、Bは1円受け取ってゲームは終了する。 しかし、1円ではどうも少なすぎるような気がしないでもない。 もし、Bが不満を感じて「1円なんていらないよ」と拒否すれば、1000円は没収され、A、Bともに1円も手にすることができない。 |
あなたならいくら提案するでしょうか?多分1000円の半額=500円でしょう。
多くの実験からAの提案額は500円に近いという結果が出ています。
もし、A、Bともに「超利己的」でしたらどうなるでしょうか。
Aはできれば1000円をマルマル自分のものにしようとしますので、提案したい金額はもちろん0円ですが、これではBの利得がありませんので拒否されてしまう可能性大です。
AはBも自分と同じように「超利己的」で、少しでも得をするのであれば、拒否するよりも必ず受け取ると予測しますので、提案額は1円ということになります。
Bは拒否すれば没収されますので、たとえ1円でも(喜んで)Aの提案を了承します。
しかしながら、Aの1円という提案を、もし、あなたがBならば了承するでしょうか?
「たったの一円かよ!」
あなたはAの提案を不公平と感じるに違いありません。
それに、拒否したとしてもあなたの損失はたったの1円です。
「不公平なら断ってしまえ」(セイラー教授の行動経済学入門 リチャード・セイラー著 篠原勝訳 ダイヤモンド社 2007年10月 p36)ということで、Aの提案を断ってしまうかもしれません。
断ってしまうのならば「損得勘定」よりも「公平さ」という感情が優先していますので、あなたは経済人ではありません。
このゲームは単純ですので、経営者ならどうか、グループならどうか、狩猟採集民族ならどうかですとか、ゲームにあれやこれやと手を加えたり・・・考えられる限りのヴァリエーションで試されています。(行動経済学 経済は「感情」で動いている 友野典男 光文社文庫 2006年5月 p54)
インドネシア東部のラマレラ族は捕鯨で生計をを立てており、捕獲された鯨は捕鯨に直接参加しなかった村人にも「分配」されます(クジラがとれた日―ラマレラ・生命の物語 (シリーズ・自然 いのち ひと) – 小島 曠太郎)。
ラマレラ族の最終提案ゲームの平均提案額は57%に達しています。
一般的に、市場における売買が日常的に行われているほど、提案額が大きいことが判明しています(行動経済学 経済は「感情」で動いている 友野典男 光文社文庫 2006年5月 p315-318)
1994年にノーベル経済学賞を受賞し、半生が映画化された(「ビューティフル・マインド」いい映画で2回ほど見ました)、ゲーム理論の大家、ジョン・ナッシュでしたら、「Aは理論上ゼロに近い金額を提示すればよい、Bはどんなに少ない金額でも受け取る」ということになるそうです。(経済は感情で動く マッテオ・モッテルリーニ著 泉典子訳 紀伊国屋書店 2008年4月 p229-230参照)。
ゲーム理論を戦略論に応用するという動きもあるのですが(ウォートンスクールのダイナミック競争戦略 ジョージ・デイ デイビッド・レイブシュタイン編 小林陽太郎監訳 東洋経済新報社 1999年10月 p116-140)、実際の企業間の競争では、ゲーム理論の背景にある「敵を知り己を知らば百戦して危うからず」という孫子の教えを超えることは稀なのではないでしょうか。
敵(この場合顧客、競争企業、仕入先)の「感情」を数値化し「最適解」を導き出すのはかなりの困難が伴います。
最終提案ゲームは、人は公正性を好むという示唆を与えるものですが、この「公正」さは利己主義に由来するのか、利他主義に由来するのか、疑問が残ります。
もっぱら利他主義の効果を調査するために、この実験はとくべつ示唆に富むバージョンで何度も反復しておこなわれた。「独裁者のゲーム」として知られるこのバージョンでは、プレーヤーBはプレーヤーAの申し出を断れない。プレーヤーAは望むとおりの分割ができ、その人の分割は動かせない。したがって、Bに提供される金額は著しく下がると予想された。しかし実際の実験ではそうはならなかった。Aに当たるプレーヤーはかなり気前がよく、50%以上の人が等分に分けようとしたのである。 (経済は感情で動く マッテオ・モッテルリーニ著 泉典子訳 紀伊国屋書店 2008年4月 p231) |
つまり、人は利己的なだけではなく利他的で”も”あるということです。
財布の実験
私の息子、健介はよく財布を落とし、落とすたびに「また落としたの!!あんたいい加減にしてよね!!!」と家内にさんざん小言を言われます。
健介がまたもや財布を落としました。
財布の中身は免許証、クレジットカード、銀行のキャッシュカード、健康保険証、若干の現金が入っており、財布は8万もしたというルイ・ビトン(息子が何でこんな高価な財布を持っているのか!!という感じです)。
「何で健介がビトンの財布を持っているの?」と家内に聞きましたところ
「新しい財布を買ったので健介にあげたと」とのことでした・・・・。
さて、家内によると・・・家事をしていたら「落合健介さんいらっしゃいますか~」と外で大きな声で叫ぶ声が聞こえたので、外に出てみると門の外にホームレス氏が立っていたので「びっくりした」そうです。
ちなみに、なぜホームレス氏かというと、家財道具一式を「ガラガラ」に入れて持っていたからだそうです。私の家は長い袋小路の一番奥で分かりづらく、始めてくる方はまず迷うのですが、交番で道を聞いて来たようです。
「渋谷(ちなみ私の家は横浜です)で財布を拾ったので届けにきました」
「中身(現金)は拾ったときには入っていませんでした」
とのことです。
もし出てこなかったら、免許証の再発行など、結構大変でした。もしかすると、カードが悪用されていたかもしれません。家内はお礼に一万円差し上げました。
「健介の財布」では現金が抜かれていましたが、現金が入ったままでも落とした財布は出てくることがあります。
どのくらいの確率で落とした財布が出てくるか?というのが「財布の実験」で、実験前の私の予測は五分五分です。
予測の根拠は私自身今までに15回くらい財布を落とし、うち半分以上は財布が出てきているからです。
外務省主催のセミナーで外国人相手に私の財布の話をしますと、出席者は少なからず驚きますので、日本の特殊事情かもしれませんが話は続きます。
藤井聡氏が
(誰も見ていないのに)ゴミを持って帰るのは、損得勘定ではなく、「持って帰るべきだろう」という道徳感情を人々が持つからなのだと考える方が、理論的には“自然”なのである。同様のことは、絶対に誰も見ていないと確信が持てる場所で拾った財布を、交番に届けるかどうか、という問題にも当てはまる。絶対に誰も見ていないのだから、財布をネコババしてしまう方が「得」に決まっている。実際、それが理由で、ネコババしてしまう人がいることは間違いないが、ネコババせずに、きちんと交番に届ける人も少なくない。この後者の人々の行動を、損得勘定で説明することは難しい。 (なぜ正直者は得をするのか 「損」と「得」のジレンマ 藤井聡 幻冬舎新書 2009年7月 p16-17) |
と言っています(お分かりのように、この章の題「なぜ正直者は選ばれるのか」も藤井聡氏の著作「なぜ正直者は得をするのか」から頂いています)。
大学の教授に割り当てられる研究予算には制限があり、実際にカネが動いたかどうか、疑問が残ります。
そこで、私は、人の利他性について、もっと実生活に基づいた独自の実験を行うことにしました。
この実験は実際にカネが動き、予算は無制限。
といっても私がお金を払う訳ではなく、人のふんどしで相撲を取る的な方法です。
しかも実験に必要な予算は・・・被験者の意図しない支出を財源としていますので・・・何(まあ、実験というより実際には「調査」ですかね)
実験は簡単です。
私の出席者に「財布を落としたことがある人、手を挙げて下さい」と言って手を挙げて頂きます。
次に「財布が出てきた人手を挙げて下さい」と言い、落とした人の人数と出てきた人の人数をカウントします。
2回以上落とした人は落とした回数をカウントします。
行動経済学の研究者の実験は学生を対象とした、やや現実から離れたゲームに近い実験なのですが、この実験は(意図的に参加しようなどという人はまずいないでしょうが・・・)実社会でのナマの実験です。
中には150万円落として出てきた人もいますので、大学の予算ではとても賄えそうにありません。
実験結果
(「落とした人」「出てきた人」は延べ人数です)
セミナー開催場所 | 落とした人 | 出てきた人 |
横浜 | 15 | 8 |
静岡 | 5 | 5 |
岡山 | 4 | 4 |
東京(日本橋) | 18 | 7 |
今のところ地方では落とした財布が100%近く出てきています。
ごくごく小規模の実験ですので、人数が少ないですね。
Kさんの例
静岡のセミナーのメンバーのKさんの話が印象的でした(記載について本人の了承を頂いております)。羽田で飛行機の出発まで時間があり、喫煙室でタバコを一服したのはいいのですが、財布(というか手に持てる小さなバッグ)を灰皿の台に置いたまま喫煙室を出てしまいました。
飛行機に乗ってからバッグがないのに気が付き、あわてて客室乗務員に連絡。
客室乗務員が地上員に連絡し、飛行機の離陸する前にバッグが手元に戻ってきました・・・バッグの中には30万円・・・喫煙室から出てから30分も経っていて、いろいろな人が出入りしていましたので「一瞬マッサオになった」そうです。
さて、ここで財布を届けた人は損をしたか?ということです。
確かに、拾った財布をそのままポケットにいれてしまえば、中のカネを丸々手に入れることができます。
経済的には、機会利益の逸失ということになり、損をしたことになります。
しかも、多くの場合、財布を拾った人は見返りを要求しません。
見返りを要求するならば、自分のポケットに入れてしまった方が所有者との交渉を省けますので、はるかにお得です。
実際、私は何回も財布を落としましたが、財布を届けた人にお礼を求められたことはありません。
以前でしたら警察の方でも届けてくれた人の住所と電話番号を教えてくれましたので、心ばかりの粗品を添えてお礼の手紙を書くこともできた。
最近は個人情報の保護ということで教えてくれません・・・ということは全く見返りなし!!。
実は、財布を正直に届けるという行為は(経済的な)損得勘定では説明できないのです。