1-3 セレクション・フロー・・・ 経営戦略論の対象領域の特性・・秩序を創造するダイナミックなシステム

ここで、は経営戦略論の統合の前段階として、経営戦略論の研究対象が、自生的秩序にに関するものであるということを説明します。
自生的秩序(選択と変異によって進化します)・・・この性質を一言で表現するなら多様性です。
ここでは計画と創発、ダイナミックな激動と安定、創造と破壊が同居します。

 

経営戦略論を統合的に見ようとしたならば、経営戦略論が取り扱う領域が、自生的秩序に属する系(システム)であるということを認識しなければならない。
従来、経営戦略論では取り扱う領域の性質を無視するか、(時計のように)誰かが設計したものとしてみていたように思われる。
経営戦略論がその対象領域のもつ性質を理解しなければ、自生的秩序のもつダイナミズムや多様性(生物の多様性を見ればよい)、バタフライエフェクトや偶然の成功、戦略の創発などは理解できない。

盲目の時計職人(リチャード・ドーキンスの著書の名前です)
道端に時計が落ちていたら、それはどこかの時計職人が作ったと考えるのが普通でしょう。
たとえ本当に前人未到の秘境に行って(たとえば火星や木星でも)、そこに時計が落ちていたら「ああ、誰かが落としていったのだな」と考えるに決まっています。
もっとも火星や木星では宇宙人かもしれませんが・・・
鉄クズをドラム缶に入れて、何十億年ガラガラかき回しても時計などできる見込みは到底ありません。

自発的に秩序が生じ、自然選択がそれを念入りに作り上げる。生命とその進化はつねに、自発的秩序と自然選択がたがいに受け入れあうことによって成り立ってきたのである。
(自己組織化と進化の論理 スチュアート・カウフマン 米沢富美子監訳 筑摩書房 2008年2月 p027)(自然選択=natural selectionは日本語訳版では自然淘汰となっている)

秩序正しい事象を生み出すことのできる「仕掛け」には二通りあると量子力学の権威で分子生物学への道を築いたシュレーディンガーは言っています。
一つは「秩序から秩序を生み出す」もの、もう一つは「無秩序から秩序を生み出す」というものです。(生命とは何か シュレーディンガー著 岡小天・鎮目恭夫訳 岩波文庫 2008年5月 p159参考)
しかし、シュレーディンガーは無秩序から秩序を生み出す「仕掛け」について「負のエントロピー」で説明しているのですが、なにぶんにも原子(あるいは分子)レベルの話で、しかも、現実世界での「無秩序から秩序を生み出す仕組み」には言及していませんので、ここでは自己組織化と進化論でこの仕掛けを説明します。

1-5%e3%80%80the-organization-where-order-is-born-%e7%a7%a9%e5%ba%8f%e3%81%8c%e7%94%9f%e3%81%be%e3%82%8c%e3%82%8b%e4%bb%95%e7%b5%84%e3%81%bf%e3%80%80pp

「秩序から秩序を生み出す」
道端に時計が落ちていたら、それはどこかの時計職人が作ったと考えるのが普通でしょう。
「この時計の製造主は時計職人にまちがいはありません」
時計職人はというと、あらかじめ予定されていた設計図という「秩序」に基づいて、時計という「秩序」創造します。

秩序から秩序を生み出す・・・・私たちの日常生活の大部分はこのルールに従っていますので、秩序から秩序が生まれるこということにさほど違和感がないというか、むしろこちらの方が自然に感じられます。
日本では車は左側通行と決まっているということは車を運転する方なら誰でもご存知です。
もし、左右どちらを走るかをドライバーの自由意志に任せたら大混乱がおきます。高速道路で、前から車が走ってくるとは誰も予測しないでしょう。
設計図どおりにプラモデルを作ったら、設計図どおりに飛行機が出来上がります。
試験勉強が難しいといっても、それは出題範囲が広いか、内容が込み入っているためで、出題範囲は決まっており、回答も決まっています。
同じ問題で出題のたびに回答が異なるというような奇妙な試験問題が出題されたらそれこそ問題です(採点者も採点不能になるからです)。
自分の家の鍵で、隣の家の玄関のドアは開かないというのは誰でも知っています。
これらはごく普通の感覚で、つまり、秩序が秩序を生み出しているのです。
経済も同様で、企業家の自由意志に任せておけば混乱は必定と考えられないでしょうか?

 

「無秩序から秩序を生み出す」
実は自然界では意外にもこちらの方が多数派です。
先の秩序から秩序を生み出すシステムというのはむしろ例外中の例外で、人間社会の、しかも将来が予測可能であるという、限られた前提の上に成り立っています。将来が予測不能である場合、秩序を設計しても設計された秩序は予測不能の事態により崩壊するか、秩序の設計そのものが不可能となるからです。
自然界における秩序の全ては設計者のいない無秩序から生成されたものです。
無秩序なプロセスがある臨界点を超えると突然秩序的に動き出す現象があります。
たとえば台風ですが、台風は海面温度が26度~27度の南太平洋で発生する、大量の蒸気(雲)を含んだ空気の渦です。
当初は単なるランダムな上昇気流の束ですが(発生の自発性)、やがて巨大な空気の渦となり反時計回りに回転しだします(秩序形成)。この空気の渦は1個の生物のように振る舞い(自己組織化)ながら移動します。(新訂 複雑システム科学 生井澤寛編著 財団法人放送大学教育振興会 2007年7月 p15~16)
しかし、台風が多様に進化するわけではありません。
世界を一周する台風ですとか、子供をいくつも産み落とす台風はありません。
北上し、熱の供給がなくなると、温帯低気圧になり、やがては消滅し、無秩序に帰っていきます。
台風なども無秩序から生まれた秩序の一つですが、さらに素晴らしい秩序があります。
地球46億年の歴史の中で、40億年もの長きにわたって、秩序を保ち多様に繁栄しているもの・・・・生物です。
生物の突然変異は無秩序(ランダム)に起こりますが、生物は秩序を保ち、環境に適応し、多様化してきました。
そして、この生物が「無秩序から秩序を生み出していく」プロセスに明確な解を与えたのがダーウィンの自然選択の理論です。(進化と人間行動 長谷川寿一 長谷川真理子 東京大学出版会 2000年4月 p43 参考)
生物の多様性、精巧性をみるとき、この自然選択の力は驚異としか言いようがありません。

 

実は、目には見えない何らかの力が関与し、無秩序から秩序が生まれるのではないかという着想は「ヒトの生態系」の一部・・・経済活動を研究する経済学の分野では古くからありました。

 

アダムスミス
アダムスミス(1723年~1790年)の「神の見えざる手」という深遠な表現は、経済学を学んだ人でしたら一度は聞いたことがあるかと思います。
しかし、非常に有名なこの表現は「国富論」では第4編第2章で一度使われているだけです。
通常は、需要曲線と供給曲線が「神の見えざる手」により交わり価格が決定されるという、価格決定のメカニズムとして使われているようです。
私が経済学を学んだ際にもこのように習いましたし、ある省庁の高官が「神の見えざる手」について、このような意味合いで使用しているのを聞いたことがあります。
ノーベル賞学者のハーバート・E・サイモンも同様に捉えているようです(システムの科学ハーバート・E・サイモン著 稲葉元吉 吉原英樹訳 パーソナルメディア 1987年12月 p39)。
経済学者ワルラスが均衡価格への調整過程でこの言葉を使ってから、このように使われるようになった、というようなことを聞いたことがありますが、定かではありません。
しかし、「神の見えざる手」の出所である「国富論」ではこのような意味で使われていません。
アダムスミスは自己の利己的な経済的利益の追求が、「神の見えざる手」により社会公共の利益を有効に増進させるという意味で使用しています。
つまり、神の見えざる手により、無秩序(利己的)な行動から秩序(社会公共の利益)が生まれるとしています。

 

シュンペーター
このメカニズムについて、より明確に言及しているのがシュンペーターです。
シュンペーターは1928年の論文で企業の本質について語る際に、市場経済――企業の自由意志が「選択プロセス」を経て一見統合されたかのように見える現象――について述べています。
シュンペーターは、市場経済は、明らかに独立し、自律的で、自己の利益を追求する企業という構成単位に分解されますが、企業の自由意志にゆだねても、あたかも、計画された経済=社会主義的計画経済のような、秩序が自律的に成立するというのです。
この、無秩序から秩序を形成する仕組みとして、シュンペーターは特に需要をあげています。

 一 企業の本質、その形態および種類に関する歴史的考察
・・・とりわけ需要という事実によく現れているように、これらの独立した単位組織は・・・・互いに絡み合い、それぞれの位置におさまることを強いられ、それができなければ経済的没落の憂き目が待ち受けているのである。ここにも、それと意識されてのことではなく分析してやっとわかることではあるが、一つの社会的経済計画が自動的に成立する。・・・

経済あるいは市場の自生的な秩序の形成については、ハイエクやサイモンも言及しているのですが、経済学者であり、経営学者ではありません。

経済や市場という概念は戦略論が扱う個別企業の領域の上位の概念であり、戦略論で扱うには漠然としています。
変異と選択の理論を戦略論で取り扱うためには、より具体的な「新たな理論の枠組み」が必要で、この「枠組み」こそ「戦略論を統合するための枠組み」となるのです。