1-補足セレクション・フローの特徴 自生的秩序とシステムの死

自己組織化
自己組織化は意外に身近なところにも見られます。スーパーのレジに並ぶ行列の長さを誰が調節しているかというと、誰でもありません。
精算を待つ顧客自身によって計算され、ほとんど自動的に調整されるのです。
顧客はまず短い列を探し、同じ長さであったら前の客のカートの中を覗き込んで、列全体の商品の少なさで並ぶ列を選びます。(市場の真実 「見えざる手」の謎を解く ジョン・ケイ著 佐和隆光監訳 佐々木勉訳 中央経済社2007年3月 p104~106)
空港での出入国審査手続きの行列の長さも自動的に調節されます。パスポートを用意して、行列に並ぶのですが、手続きのスピードは入国審査官によってかなり異なります。
自分が手続きしているときの時間は気にならないのですが、自分の列の前の人がモタモタしているときはイライラします。
隣の列でトラブルがあれば「こちらの列でよかった」と何故か思ってしまい、隣の列が短くなれば無意識のうちに隣の列に移動したりします。
そして、このようにして節約したわずかな時間を、預けたスーツケースがベルトコンベアに乗って吐き出されるのを待つといった、全く無駄な時間に費やすことになるのです。
市場もこの行列と同じように自生的に創出されます。
市場というと漠然としていますので、地方に行くと今でも見られる「朝市」を思い浮かべるとよいかもしれません。
いつの間にか自然と人が集まり、定期的に市が立つようになります。四日市市(市が二つも付いていることに気がつきました)や八日市市、十日町や六日町など、市の立つ日が地名の由来になっているものもありますが、いつから市が立つようになったかは定かでなく、ルーツを探ろうとすると時代の霧の中に消えていってしまいます。
「市場経済は誰がデザインしたものであろうか。誰でもない」(市場の真実 「見えざる手」の謎を解く ジョン・ケイ著 佐和隆光監訳 佐々木勉訳 中央経済社2007年3月 p99)・・・一体、デザイナーなしでデザインがあるのでしょうか。
ハーバート・A・サイモンは、中世の都市の多くが無数の人々の個々の決定によって成長したデザイナーなきデザインであることを指摘しているのですが、(システムの科学 ハーバート・E・サイモン著 稲葉元吉 吉原英樹訳 パーソナルメディア 1987年12月 p40-41)実際に市場を誰がデザインしたのかというと、誰でもないのです。それは、人間の行動の結果として自生的に形成された秩序であり、設計者はいません。

 

自己組織化と選択の理論
スーパーのレジ前や、出国手続きの行列で、並んでいる人が受けるサービスは均質です。サービスの質が均質である場合、行列の長さは同じような長さで均衡します。
人気のあるスーパーのレジや出国手続カウンターなどみたことがありません。
このことを九州でスーパーの若手経営者対象のセミナーで話しましたら「そんなことはありません。若くてきれいな娘のレジは長くなりますよ」と助言されましたが、本人の承諾を得てここでは無視させていただいています)
しかし、ラーメン屋の前の行列はどうでしょうか?
札幌のラーメン横丁では、スーパーのレジ前と、かなり異なった様相を呈しています。
行列のできるラーメン屋と、客の全く入っていないラーメン屋が隣り合っているのですから。
行列のできるラーメン屋の行列に並んでも、20分程度ならば大して苦にはなりません。
列に並んで、自分の番が店のドアに近づいてくるのをじっと黙って待っています。
むしろ、隣にある客の誰も入っていないラーメン屋の方が不気味です。
さて、経済学では、客のいないラーメン屋は、需要と供給の原則に従って、価格をどんどん下げていくと教えているのですが、そうでもありません(反対に行列のできるラーメン屋も行列がなくなるまで価格を上げるかというと、そうでもありません)。
客の入らないラーメン屋はいつの間にかラーメン横丁から退場し、いつの間にか別のラーメン屋(カレー屋かも知れない)にとって代わられるということになります。
選手交代です。この選手交代が、監督の指示ではなく、市場自身の力によってなされるというのが市場の特徴です。
かつてトム・ピーターズ&ロバート・ウォータマンがその著書「エクセレント・カンパニー」で称賛した優良企業の大半が、客の入らないラーメン屋と同じ道を辿りました(あるいは辿ろうとしています)。
市場には「セレクション・フロー」の強烈な選択の原理が働くからです。
そして、企業間競争というのはセレクション・フローの奪い合いをいいます。このセレクション・フローの奪い合いがあると企業とセレクション・フローが共進化し、セレクション・フロー自体が太くたくましくなります。ラーメン横丁に全国から人が集まるのはこのためです。

 

システムの死
このように自発的に秩序が生じるようなシステムに、秩序を強要すると、システムは死に至ります。
1988年イエローストーン公園の36パセーントを消失する山火事が起きました。
アメリカの中西部にあるこの公園の面積は8,900k㎡で、四国の約半分に当たります。
1872年に世界初の国立公園として認定されたこの公園では、100年近くにわたって火災が発生するたびに消火してきました。
山火事は地表の枯れ草や枯れ枝を掃除するという役割を果たす公園の掃除人で、数千万年もの 間、山火事は公園を掃除してきました。・・・・公園はすっかり山火事に適応していたのです。
ところが、人間の消火活動によって、地表は次第に厚い枯れ草や枯れ枝といった可燃性の堆積物に覆われていきました。
1988年に落雷による火災が発生しました。
あいにくこの年の夏、公園は記録的な乾燥に見舞われていました。
厚く堆積した枯れ葉のカーペットは普段より熱く、数か月燃え続け、通常ならば生き残る植物の根や微生物を死滅させてしまいました。
植物や動物に危害があっても、落雷などの自然発火の山火事は「消さない」のがイエローストーン公園の原則となっています。
(戦略論 マイケル・A・クスマノ コンスタンチノス・C・マルキデス編 クロービス・マネジメント・インスティチュート訳 東洋経済新報社 2003年12月 p252~253 参照)
(イエローストーン国立公園ホームページ http://www.nps.gov/yell/parkmgmt/firemanagement.htm参照)

 

自生的に秩序が形成されたシステムに秩序を強制すると、システムが壊滅的な打撃を受けるというのは、自然だけではありません。
セレクション・フローはイエローストーン公園の山火事の役目を果たすのですが、かつて、セレクション・フローに秩序を押し付けるという壮大な実験が行われました。地球の人口の半数近く、30億人を巻き込んだ実験でした。

 

簡単な実験1
まず、次のような簡単なモデル(実験装置)から経営者の反応を探ることにします。

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モデル1は競争のある場合です。
つまり、同業者がいて同業者と顧客を奪い合っている状態で、どの業者を選ぶかは顧客の自由、顧客には選択権があります。
独占企業でないかぎり、ほとんどの業者がモデル1に該当します。
顧客に選択権があると、同業者と顧客の選択を奪い合うという競争が「自生的」に発生します。

モデル2は競争がない場合です。
同業者がいないので顧客を独占できます。
顧客には選択権はなく、当然、競争が発生する余地などありません。
日本中とまでいわないまでも、例えば横浜であれば横浜の顧客は自社(すなわち皆様)しか選択できず、他の業者を選択することはできません。

予備知識をまったく与えないで、モデル1とモデル2のどちらの方が自社にとって良い状態かと経営者に聞きますと、だいたいはモデル2の方が良いと答えます。
今まで講演の度に聞いたのですが、ほとんどの経営者が選択したのはモデル2でした。
予想に反しモデル1を選択する経営者もいますので、モデル1を選択した経営者に選択の理由を聞いてみたところ・・・
「お客様が選ぶことができないので、お客様に迷惑がかかります」
と、独占禁止政策というSCPパラダイム(注1)の神髄を突くような、非常に理に適(かな)った答えが返ってくることもあります。
このような独占の弊害が 起こらないように公正取引委員会が目を光らせているのですが、経営者から見たら完全競争は最悪です。

そこで・・・
「私もこの段階ではモデル2を選択します。別に日本中だなんて大それたことは言わなくても、ある地域の、全てのお客様を独占できるのですから、これほど有難いことはないと思いませんか?」
と、誘導しますと
「それではモデル2にします」
と、あっさりモデル2を選択して頂きました。さすが経営者です。私の心情を察してくれています。
競争はないに越したことはないのです。
実は、ポーター教授の理論も2の状況を奨励する理論ですし、私もできる限り会社を2の状態に近づけることをお勧めします・・・再度言いますが、競争に疲れた経営者の相談を受けるたびに、本当に競争はないに越したことはないと思うのです。

ちなみに、モデル1と答えた理由として「何か裏があると思ったから」という経営者もいるのですが、この経営者の回答理由も正解です。
私の心理の裏を読んだ、するどい指摘だと思います。

 

簡単な実験2
しかし、「本当にモデル2で良いのですか?」と先ほどの図に、次のように供給業者2を追加しますと皆さんそろってしてモデル1を選びます。
この点、今のところ例外はありません。

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「モデル2では選択権がないのですから、皆さんにも選択権はありません。仕入先も選べませんし、仕入れたものが粗悪品であったり、腐っているかもしれません。
ひょっとしたら仕入先に仕入れるモノが無いかも知れません」

社会現象を秩序化するには二つの代替的方法があります。競争と政府による管理です。私は政府による管理は反対で、競争が機能するようにしたいのです。
(ハイエク、ハイエクを語る 名古屋大学出版会 p127)

お分かりかと思いますが、モデル1は市場経済つまり競争による管理、モデル2は計画経済のモデルつまり政府による管理です。
市場経済ではどの企業を選ぶかという選択権がりますので、競争が「自生的」に発生するのです。
計画経済では企業は国によって統合され全て国営となります。顧客からはどの企業のどの製品を選ぶかという選択権が奪われますので、企業間の競争もなくなります・・・基本的に配給制となります。
実際に、中国では布票(布と交換できる票)や糧票(食糧と交換できる票)など、さまざまな票が、家族構成などを基準に配給されていました。
選択権を奪うには、微に入り細にわたる統制が必要です。なにしろ、「密告」が奨励され(密告奨励金という制度もあるようです)子供が親を「密告」するのですから体制と異なる思想を持つこと自体危険なことで、友人といえども(思想に関しては)胸襟を開くことはできません。
「開放」以前には職業選択の自由もありませんでした。
ハイエクの言葉を借りるならば「個人の思考と会話、それに個人の家族関係についてさえ統制するところまで進まざるを得ない」(ハイエク、ハイエクを語る 名古屋大学出版会 p127)ということになります。

 

さて、ここで重要なのが、顧客の選択と企業間競争は表裏一体の関係にあるということです。
確かに、ある企業が同業他社を駆逐して独占業者になれば、顧客の選択は制限されるのですが、顧客に選択権が留保されている限り、独占業者とて永遠に安泰という訳にはいきません。
独占企業とて新規参入や代替品の脅威を阻止するためのあらゆる努力が必要となるでしょう。
ところが、顧客の選択権を取り上げれば、企業間競争は消えてなくなってしまうのです。
これは生物の世界も同様で、自然選択がなくなれば――これを想定するのは困難ですが――生存競争も消えてなくなることと思われます。
企業は互いに競争するのですが、顧客に選択権があるがゆえに「企業は競争を余儀なくされている」という、競争のもう一つの側面が浮かび上がってきます。
そして、顧客の選択を得るために、企業は競争を余儀なくされていると考えますと、競争を引き起こす競争の源泉は「顧客の選択」ということになります。

 

ケース1で選択権を繋いでいましたら網状のものが出来上がりましたので、これを、「セレクション・システム」と呼ぶことにします。(後にセレクション・フロー・ネットワーク・システムと改称)
ノード(結び目)が顧客であったり自社(や競合他社)、仕入先です。
ヒトの脳細胞一つをとりだしても、そこには何の思考も感情もありません。
細胞相互が関連しあい、ネットワークとして働いたときに「考えるネットワーク」となり、思考や感情が湧いてきます。
これは私の考えですが、ハイエク、そして古くはアダム・スミスも市場というネットワークは、ネットワークを流れる財に関する膨大な計算をし、複雑な調整能力のある「考えるネットワーク」であり、ネットワークの調整はネットワーク自身に考えさせる、という立場に立っているように思われます。

 

(注1):SCPパラダイム SCPロジック:
産業構造(Structure)が企業行動(Conduct)を規制し業績(Performance)を規定するとする。
独占を排除し競争状態を作り出すという理論であるが、ポーターのポジショニング・アプローチはこのSPC理論をひっくり返したもの。
ポジショニング・アプローチと置き換えても文意はかわらない。

 

市場か計画か
どのようなものを、どのような価格で、どのくらい一国全体に行き渡らせるかについての膨大な計算を、自然発生的に生じた市場に任せた場合と、中央政府が担当した場合、つまり「市場」と「計画」との間にどのような経済格差が生じるのでしょうか。
経済は民族、地政学的要因によっても異なる場合があります。
アメリカと開放前の中国とを比較しても、「市場」か「計画」かという要因以外に、国民性や地政学的要因などの撹乱要因が入ってくるため、比較の対象としては不適切でしょう。
経済格差は市場主義国の間でも存在するのですから。
そこで、同一民族が市場経済と計画経済に分かれた地域のGDPを比較してみました。分裂以前はほぼ似たような経済水準であったと見込まれるからです。比較の対象としたのは、朝鮮半島の北部と南部、ドイツの東部と西部です。

 

韓国(大韓民国)と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)
1945年日本の敗戦を期に朝鮮半島の北側をソ連が南側を米国が分割占領し、1948年8月に韓国が、ついで9月に北朝鮮が独立しました。
独立当時は経済的な格差はなかったとして、韓国、北朝鮮の一人当たりGDPの格差は、分割後60年余りで13.61倍にも達しています。

 人口  GDP  一人当たりGDP
 韓国  49百万  $1,196億  $24,500
 北朝鮮  23百万  $40億  $1,800

(注)人口2007年推定 その他2006年推定
北朝鮮のGDPは公表されておらず10億ドル単位で推定されている
(The World Factbook 米国CIA  https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/

 

西ドイツと東ドイツ
ドイツは1945年に東からソ連軍が、西からアメリカ、フランス、イギリス軍が侵攻して、終戦後に分割統治したことによって東西に分割されました。1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、翌年1990年10月3日に東西のドイツが統合されました。
表は統合直後の東西ドイツのGDPの比較です。
1991年の東西ドイツのGDPの状況をみると旧西ドイツと旧東ドイツの一人当たりGDPの格差は3.17倍となっています。

 GDP(10億DM)  一人当たりGDP
 旧西ドイツ領域 2647.6  41,300
 旧東ドイツ領域 206.0 13,000

(東西ドイツ統一の考察 伊藤祐一氏http://web.sfc.keio.ac.jp/~kgw/Project/1998/paper/ito98fp.PDF 最終アクセス2009年4月1日)
在ドイツ日本大使館のホームページには次のように紹介されています
「東西ドイツの経済格差は依然大きく、ハレ経済研究所によると、年平均で旧西ドイツのGDPの約4%、旧東ドイツのGDPの約30%にあたる額(ネット)が旧西ドイツから旧東ドイツに移転された。旧東ドイツ地域に対する大規模な経済支援が統一後から現在まで継続されており、その累積額は最近の1年当たりのドイツのGDPの約30%に及ぶ。」
在ドイツ日本大使館http://www.de.emb-japan.go.jp/nihongo/deutschland/wirtschaft.html最終アクセス2009年4月1日)

 

家庭用ゲーム機の計算能力などたかが知れていると思うのですが、ゲーム機(おもちゃ)をつなぎ合わせてもスパーコンピュータを構築できるようです。
2010年12月、米国空軍研究所はソニーの家庭用ゲーム機「プレイステーション」約1700台を連結してスパーコンピュータを作成したと発表しました(共同http://sankei.jp.msn.com/world/america/101204/amr1012041618019-n1.htm)。
この時点での処理能力は世界35位か36位というのですからたいしたものです。
コンピュータシステムで例えるならば、計画経済は中央で一台の超(ウルトラ)スーパーコンピュータで全てを計算するという集中化システムです。
実際、私が中学生の時の地理の先生から、将来コンピュータの技術が発達しさえすれば、国民が何をどれだけ必要としているかということと、それに見合う生産を計算できると教わり、ソ連のソフォーズやコルフォーズがいかに素晴らしいかを教わりました。
市場経済というのは国民一人一人(乳児の表情を見て親が離乳食やおもちゃなどを買い与えるのならば乳児も含みます)に数百万台~数十億台という膨大な数のパソコン(ゲーム機でもかまいません)を与えて、これらを繋ぎ合わせるという分散化システムです。
ただしコンピュータの分散化システムではパソコンの接続の仕様に設計者がいるのに対して、市場経済という分散化システムには設計者はいません。
ここで、国民にパソコンを与えるという表現は妥当ではないかもしれません。なぜならば国民一人一人が生来的にパソコンを持っているからです。
計画経済では国民が持っているパソコンは奪い去られます。

さて、計算能力ですが分散化システムの方が優れていたことが、今の時点では、実証されています。
人間の脳はただ一つの超越的ニューロンが、全てを仕切るという構造にはなっていませんが、分散化システムである市場経済の方が人間の脳の構造に近いのかもしれません。
ベルリンの壁の崩壊とともに、計画経済は崩壊してしまいました。1990年代の後半、中国大使館の参事官と会食する機会がありました。
(当時の)日本は中国よりも共産主義的だといっていました。
さらに、「計画経済の弊害を本当に知っているのは中国人であり、我々は後(文化大革命以前)には戻らない」ともいっていました。