3-2 なぜ戦略論は偏るのか

還元主義の典型はケース・スタディに見られます。どのような競争があったのかを、ケースごとに検証しますので直接的で、競争を疑似体験できるという点で優れています。戒めも含め、その疑似体験を今後の企業運営にどのように役立てるか、という点からも重要です。
この疑似体験というのは優れたアイデアであり、旅客機のパイロットもフライト・シュミエーターで、実際には起こってもらっては困るような事態を何度も疑似体験します。本当の緊急事態など、ほとんどのパイロットが経験などしたことがなく、またそうあってほしいものです。
また、私たちは分解型が馴染みやすいのも事実です。スポーツの「練習」ではこの分解型がそこかしこに見られます。短距離走や競泳のスタート、バスケットのシュート、ゴルフのパター、野球のバッティングなど、全体を分解して練習するといった方法が数多く採用されています。

 

しかし、ケースをもとに理論を構築しようとすると、かなり骨の折れる仕事となるのは確実です。消費者の価値基準は驚くほど多様で、矛盾に満ちています。
次の文章はある経営者から頂いた、20代の女性(実は娘さん)の、素晴らしく多様な行動様式に関する記述です。

特定の彼氏がいない、ある20歳代の女性の場合・・・
A:
彼女の好きなアーティストのコンサートチケットが入手困難であれば、ネットオークション等のあらゆる手段を使って、何としてでもチケット入手の努力をするが、プレミアムがつく程のアーティストのチケットが無料で入手できるとしても、彼女が関心のないアーティストであれば、全く興味を示さない。
B:
好きなアーティストのコンサート会場へは雨が降ろうが、雪が降ろうが自力で電車やバスを使ってでも行くが、男友達と遊びに行く時には、晴天であっても男友達が運転の車でなければ出掛けない。
C:
仕事に行く時はノーメークでジーンズや普段着で出勤し、電車内や会社で化粧をする。
男友達と遊びに行く時には、多少のお化粧をして、お気に入りのファッションで行く。
これが合コンともなると、お化粧を完璧にして、最新のファッションでコーディネートして、出掛けて行く。
D:
仕事の時は朝起きるのが大変に辛いが、彼女が好きなスノーボードに行く時には、睡眠不足であろうが、明け方3時でも平気で苦もなく起床できる。
彼女の休日に会社の研修会がある時は、研修会の時間に合わせるが、男友達と遊びに行く時は、男友達を彼女の時間(都合)に合わせさせる。

「敵を知り己を知らば百戦して危うからず」と言ったのは孫子ですが、上の文章を読めば敵(この場合は競合他社ではなく顧客)の心理を的確につかむことがいかに困難であるということがお分かりになるかと思います。
的確に敵の心理をつかんだとしても、敵の心変わりに設備投資がついていけず、翻弄されるということになります。

 

この例から学べることは、同じ人間が取る行動であっても、状況によってその行動は、全く正反対とも言えるべき行動を取るということです。

 

経営者の行動も敵以上に多様で、時には間尺に合わない行動をとることさえあります。マイクロソフトのビルゲイツを成功者として認めない方は今のところいないでしょう。

 

マイクロソフトの成功の要因はパソコン用のBASICやMS-DOSとウィンドウズという「標準(デファクト・スタンダード)」を手に入れたことにあります。
成功の裏には巧妙に練られた戦略があってしかるべきだと思うかもしれませんが、戦略どころか、ビル・ゲイツは全ての「標準」を危うく逃すところでした。
ビル・ゲイツはMITSのアルテア上で動くBASICを開発したのですが、違法コピーによって売上が上がりませんでした。
失望したビル・ゲイツはMITSにBASICのあらゆる権利と所有権をたったの6500ドルで売却すると申し出たのです。
もし、この取引が成立していたら20世紀でもっともばかげた取引の一つになっていたかもしれません。(ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男 ジェームズ・ウォレス ジム・エリクソン著 奥野卓司訳 1992年12月 p130参照)
IBMがパソコン業界に参入するに際して当時人気のあったパソコンを調査しました。
するとどのパソコンにも目につく会社がありました。
マイクロソフトです。
マイクロソフトのBASICは業界の標準になっていました。
そこでIBMはマイクロソフトにコンタクトをとったのです。
(マイクロソフト ダニエル・イクビア スーザンL.ネッパー著 椋田尚子訳 アスキー出版局 1992年7月 p124-125参照)
もしこのコンタクトがなかったら、次の「標準」MS-DOSは生まれませんでした。
さて、IBMがマイクロソフトにOSの開発を依頼したときマイクロソフトはOSをもっていませんでした。
ビル・ゲイツはIBMに誠実に対応しています。
2度目の会合のときにはIBMの突然の訪問予告のため、あわててアタリの社長と会う約束をキャンセルまでしています。(マイクロソフト ダニエル・イクビア スーザンL.ネッパー著 椋田尚子訳 アスキー出版局 1992年7月 p126参照)
当時OSの標準となりつつあったのはデジタル・リサーチのCP/Mでした。
ゲイツはデジタル・リサーチのゲァリ・キルドールに電話して大切なお客さんが行くから「丁重に対応するように」といったのですが、このときの話はパソコン界の伝説となっているようです。
ある説では、IBMがデジタル・リサーチを訪問したとき、キルドールは飛行機に乗っていてキルドールの妻が応対し、彼女はIBMの申し出――100年に1度の商談――を何と断ってしまったことになっています。
この商談を逃したことについて、歴史家はキルドールにかなり冷ややかです。
しかし、ビル・ゲイツも100年に1度の商談を危うく取り逃がすところだったのです。(ビル・ゲイツ 中川貴雄著 中央経済社 1995年7月 p92参照)(ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男 ジェームズ・ウォレス ジム・エリクソン著 奥野卓司訳 1992年12月p234参照)
偶然はさらに続きます。IBMの社員のジャック・サムは再びゲイツとあいました。
二人とも、利用可能なもう一つのOSを知っていました。
ゲイツは「(そのOSを)君が手に入れたいかい・・・・・それとも私に手に入れてもらいたいかい?」と聞いたといいます。
サムは思わず「もちろん、あなたが手に入れてください」と答えてしまいました。
IBMはそのOSの権利をゲイツに残したまま、安い料金でそのOSのライセンスをゲイツから得たのです。(たまたま レナード・ムロディナウ 田中三彦訳 ダイヤモンド社 2009年9月 p308-309参照)
さらに驚くことに、ビル・ゲイツはマックOSを標準にしようともしています。
アップルの戦略上の最大の失敗は、アップルは自社をハードウェアの会社だと思っていたことにあります。
ですのでOSの供与をしませんでした。
なぜ失敗と断言できるかといいますと「これが間違いだった」とアップルの共同設立者のウォズも言っているからです。(アップル・コンフィデンシャル2・5J上 オーウェン・W・リンツメイヤー 林信行著 アスペクト 2006年5月 p220参照)
もし、マックの発売と同時にハードウェアとOSをライセンスしていたらマックが「標準」となりがウィンドウズを凌いでいたかもしれません。
いや、ウィンドウズがマックに追いついたのはウィンドウズ95ですので、マックがOSの標準になったのは確実だったと思われます。
マックの互換機が出れば痛手を被るのはマイクロソフトです。ところが意外というか、これは本当に驚くべきことなのですが「マック互換機構想」の最大の推進派はビ・ル・ゲ・イ・ツでした。
ビル・ゲイツは1985年6月25日にアップルのCEOジョン・スカリー宛に丁寧な手紙を書いています。
その手紙でゲイツは「ライセンスを供与するにあたって、ヒューレットパッカードならだれに話をもっていけばいいか、AT&Tなら誰がいいか」ということまで含めて、アップルの大戦略を手とり足とり教えています。
返事が来なかったので7月29日に2通目の手紙を出し、「私はライセンス事業に関してどんな協力も惜しまないつもりです。どうか電話してください」とまで言っているのです。イアン・W・ダイアリー(アップルの上級副社長)は「もっと早くライセンス供与を始めていたら、我々は今日のマイクロソフトになっていただろう」と悔みました。(アップル・コンフィデンシャル2・5J上 オーウェン・W・リンツメイヤー 林信行著 アスペクト 2006年5月 p186-194参照)
さて、ここがビジネスの面白いところなのですが、アップルはマイクロソフトにはなり損ねたのですがこれが失敗かというとそうではなさそうなのです。
マイクロソフトはリナックスやオープンオフィスに頭を悩まされ、アップルはソニーを悩ませているのですから。

 

企業家の気まぐれや、偶然に起こる事象など誰が予測できるでしょうか・・・・?

 

消費者も個性溢れ、企業家も個性溢れるのですから非常にたくさんのケースを考察することになります。
休日に普段着で街に出ても、私と同じ服を着ている人にはめったに出会いません。電車に乗って、もし、全く同じ柄のジャケットを着ている人が隣に座ったら、次の駅まで待たなくてもどちらかが席を立つことになります。
休日に街に出て同じ柄の服を着ている人と出会わないのと同じくらいの確率で、同じケースはないでしょう。
私も今までに数百(たぶんどの大学のMBAのケース・スタディより多いと思います)の企業を実際に見てきましたが、一つとして似たような企業がありませんでした。
企業の数ほどケースがあるといってもいいくらいです。

ケースが重要でないと言っているのではありません。
ただ、現実はケースの数があまりにも多く、多様性に富んでおり、しかも相互に矛盾することもあると実感しているのは私だけではないはずです。
もし、携帯電話の電話帳がアイウエオ順に並んでいなかったら、相当イライラすることでしょう。
整理されていないデータほど始末の悪いものはありません。ケースそのものはアイウエオ順に並んでいない電話帳の様なものです。
そして、日々新しい手口(名前)のデータが電話帳にインプットされていきます。こうなるとケースの氾濫といった方がよいかもしれません。

さて、このケースの氾濫を整理するために研究者が理論を構築するのですが、限定合理性などもちださなくとも、構築される理論は個性的となることは必定です。
なぜならば、研究者も個性溢れるからです。
測定から測定者が切り離せないというW・ハイゼンベルグの不確定性原理(複雑系としての社会システムp3)というのは、研究者が個性的であるといっているようにも聞こえます。

個性溢れる消費者×個性溢れる経営者×個性溢れる研究者

戦略論が偏らないという方が、無理な話です。
では、どのように偏っているのでしょうか?・・・変異ベクトルにあてがうと、戦略論の偏りの方向が見えてきます。

・・・それに、ささやかな発見ですが「成功事例の奪い合い」という現象もちらほら散見されます。ポーターの構造論とバーニーの資源論が対立していることは述べましたが、「サウスウエスト航空」の成功は対立する双方のケース(事例)として取り上げています。
≪企業戦略論Ⅰマイケル・E・ポーター ダイヤモンド社 p76≫
≪企業戦略論上 J.バーニー ダイヤモンド社 p234≫
・・・どちらの理論からも成功の理由が説明できています。本来対立するものではないのではないのでしょうか?