3-補足・・・自分に都合のいい面だけを見たがる

補足・・・自分に都合のいい面だけを見たがる
(このタイトルは「経済は感情で動く」(近年注目されている『行動経済学』に関する著作)10章4節のタイトルをそのまま使っています)

経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイスは「意見を変えるか、その必要はないかの選択に迫られたとき、ほとんどの人は必要ないとと考える」と言ったそうです(経済は感情で動く マッテオ・モッテルリーニ著 泉典子訳 紀伊国屋書店 2008年4月 p178)。
原書でも伝聞形ですので本当にガルブレイスが言ったのかどうか、真偽の程は分かりませんがマトを得た言葉です。

信念や主義主張などは人によって異なるものであり、「一体何が真実なのか?」についてはその人によってお気に入りの答えが用意されています。
このようなとき、多くの人は自分の信条に合致するものを好ましく思い、反対のものは無視します。

自分の信条にあった新聞やニュースを見るのもこのためです。
私の父はジャイアンツファンで、ジャイアンツが勝っているときはテレビ放送終了後もラジオで試合の続きを聞くのに、負けがほぼ確定したときには(私たちがテレビを見ているにもかかわらず)チャンネルを変えてしまうのでした。
要するに、自分の信条にあったものは快く受け入れ、そうでないものは無視するというのが、私たちの基本的なスタンスです。

これに関して、アメリカの二人の心理学者リチャード・ニスベット(ミシガン大学アナーバー校)とリー・ロス(スタンフォード大学)が、70年代に有名な調査をしている。
調査はおよそ次のようだった。学生をその信条によって二つのグループに分ける。一方は死刑賛成論者で、他方は死刑反対論者である。両方のグループに、合衆国の二つの州の犯罪と殺人罪の指数に関する、まったく同じ統計表を見せた。
はじめの州では、以前は死刑はなかったがその後導入されていた。
後の州では、以前は死刑があったがその後廃止されていた。
学生たちには、犯罪の抑止力として死刑は有効かどうかの判断が求められた。
するとどちらのグループも、渡された統計表は(まったく同じものなのに!)自分の意見を裏づけていると表明したのだ。
つまり同じデータを、死刑賛成論者は死刑の有効性を示すものとして読み、反対論者は死刑の有害性を示すものとして読んだのである。
どちらのグループも「きわめてもっともな理由」から、自分の意見と異なる部分は軽視し、自分の意見の確証となる部分には余計に注意を向けたのである。それだけではない。
自分の意見と同じ箇所では、情報として与えられた調査は「よくできてい」て、「重要な事実」を伝えていると考え、自分の意見に合わない箇所では、不適切でうなずけないと判断したのだ。
(経済は感情で動く マッテオ・モッテルリーニ著 泉典子訳 紀伊国屋書店 2008年4月 p178-179)
注:この死刑に反対・賛成の記事は「たまたま レナード・ムロデナウ著 田中三彦 ダイヤモンド社 2009月」にも紹介されています(p280-281)

これを確証バイアスというのですが、この確証バイアスという人間のクセは、何も最近発見されたものではなく、古くから指摘されていました、

哲学者フランシス・ベーコンは1620年につぎのように言っている。
「人間の理解というものは、ひとたびある見解を採用してしまうと、それに適合する例ばかり集め、たとえ反例のほうが、数も多くより重要である可能性があっても、その見解がぐらつくことがないようにと、それらに注意を向けないか、さもなければ拒絶するかのいずれかである」。
さらに悪いことに、われわれは自分の先入観を裏づける証拠を優先的に探し求めるだけでなく、曖昧な証拠を自身の考えに有利になるように解釈する。
これが大きな問題になることがある。
なぜならデータが曖昧なことはよくあるから、われわれの利発な脳は、説得力のあるデータがない場合でも、あるパターンを無視し別のパターンを強調することで信念を強化することがあり得るからだ。
たとえばもし薄弱な根拠をもとに、新しい隣人は友好的でないと推断すれば、以後、そのように解釈できそうな行動ばかりが頭を占め、それ以外のものは簡単に忘れ去られてしまう。
あるいは、ある政治家を信じている場合、その政治家がよい業績を残せばその政治家を信任し、失敗すると状況や他の党を非難し、いずれの場合も当初の考えを強化していく。
(たまたま レナード・ムロデナウ著 田中三彦 ダイヤモンド社 2009月 p280)

つまり、私たちは自分の信条にあったものを見ていることになり、さらに見たくないものを見せられたときには、見方をいくらか変えてしまいます。

科学者(特に社会科学専攻の)は合理的かつ公平で、このような先入観(自説)でものを観察したりしないかというと、(多くの人がご存じのように)そのようなことはなく、自説に従って観察します。
まず、自説にもとづく成功事例をたくさん収集します。
これは科学者にとっては造作もないことで、「成功には多くの父がいるが失敗に親はいない(Success has many fathers, while failure is an orphan.)」という名言どおりに、たくさんの成功事例が収集されます。
同じ成功事例がたくさんのビジネス書で『自説の成功事例』として紹介されているのはこのためです。
互いに対立し、批判の応酬が飛び交う説なのですが、なぜか成功事例は同じという奇妙な現象がみられます。
さらに、自説と他説を見せられると、他説を攻撃するためにアラを探し、(先入観による)自説に対する信念を一層強化させてしまいます。

・・・・戦略論が混乱するのも無理からぬことなのです。