3-4 変異・・・戦略発想の2つのモデル

変異・・・戦略発想の2つのモデル

計画的に変異するのか?変異が創発されるのか?

目標と戦略とを区別して、計画にウェイトを置くのがアンゾフの考えです(戦略論をみる8つの視座 小林敬一郎著 慶応経営論集第15巻第1号 1998年3月)。
実は私もこちらの定義に馴染んでいます。目標は明らかであり、「代替案を列挙して代替案を選択する」・・・永い間、戦略とはそういうものだと思っていました。
こちらの考えに立つならば、戦略は先を見込んだ「計画」であり、計画であるならば「公式に承認されたもの」となります。
また、松下幸之助が言ったとされる「目的→目標→戦略→戦術」というように戦略にハイアラーキーを認めるのもこちらの特徴です。「戦略とは戦闘目的を達成するための手段」というクラウゼビッツの定義に沿った理解でもあります。日本では、戦略と戦術とは明確に分けるべきであり、しかも戦略の方が上、という考え方が一般的です。
私がしばしば受ける質問に
「戦略と戦術の違いは何か」
というものがあります。皆さんは具体的に答えられるでしょうか?もし答えられるとしたら、私は、戦略のハイアラーキーを下から逆行するような、つまり、大きな成果(目的)を導き出した「大戦術」をいくつも挙げることができます。

 

夏、ドブ川に行きますと淀んだ水の下からブツブツとメタンガスが湧いていることがあります。戦略はメタンガスのように自然発生的に湧くこともある、と主張したのがミンツバーグです(実際にはミンツバーグは「雑草」に例えています)。
ミンツバーグはこのような、どこからともなく湧いてくる戦略を、先の「計画的戦略」と区別して「創発的戦略」と名付けました(戦略サファリ ヘンリー・ミンツバーグ ブルース・アルスとランド ジョセフ・ランベル著 齋藤嘉監訳1999年10月p207)。
ミンツバーグが描いた図でもわかりますように、「意図された戦略」や「計画的戦略」は太い矢印で描かれ、「創発的戦略」は何本もの細い矢印で描かれています。
さらにこの図で、ミンツバーグは創発的戦略を小さな戦略の束として扱っています。


ところが、創発的戦略にはセレンディップな、計画的戦略よりもはるかに大きなものがあります。セレンディピティについては別章(3-5 変異・・セレンディピティ)を参照して下さい。
図に書き込むならば、「意図された戦略」よりも太く書き込まなければなりません。
「そんなの単なる気づきで、戦略ではないのでは?」
確かにそうかもしれませんが、突然の(単発の)気づきが、じっくり(時間をかけて)練った戦略を超えることもあるのなら、戦略論でも取り扱うべきでしょう。

 

計画か?創発か?・・・創発の中にも偉大な効果があるものがありますので、ここではもっと一般的に使用されている左脳発想(論理的)か、右脳発想(直観的)かで戦略を区別してみます。
グーグルで右脳発想を検索すると44万件ヒットします。左脳発想が論理的、右脳発想が直感的な発想であるということは広く知られています。

論理型(左脳発想)  分析的 統制的 直列処理 規則支配的 労力を要する
論の積み上げの結果として結論が出る
線形(リニア)
直感的(右脳発想)  直観的 感情的 並列処理 労力がかからない
理論の過程と結果が同時に出る
非線形(ノンリニア)

上の表は、最近登場した、人間の二つの情報処理システム「2重プロセス理論」に基づいた分類となっています(行動経済学 経済は「感情」で動いている 友野典男 光文社新書 2005年5月 p94参照)。
ここでは戦略発想を馴染のある論理型(左脳型)と直観型(右脳型)に分けてみました。
戦略発想にも論理型(左脳型)と直感型(右脳型)の2つの発想モデルがあるのです。

論理型(左脳型)
従来の戦略論の戦略策定モデルです。
まず、明確な目標が設定され、次に現実と目標とのギャップが分析されます。
この分析の結果として成功方法(KFS(キー・ファクター・フォー・サクセス))が列挙され、列挙された成功方法を評価し、最も好ましいものを選択するというモデルです。
このモデルに従えば、戦略は通常、会議室で生まれ、会議室で策定されるということになります。
理論型の戦略発想は、秩序から秩序が生まれるという発想に根ざしています。
代表的には、Plan→Do→Seeコントロールが挙げられます。
成熟した、あるいは衰退傾向にある産業では、将来は比較的予測可能ですので目標を容易に想定することができます。
会社の再建には、私の経験からも、こちらの戦略発想が有効です。
再建が必要となる会社は、成熟産業や衰退産業に属している場合が多く、顧客のニーズや競争相手の動向が明確で、先が読みやすく目標設定が容易です。
カルロス・ゴーンが日産を再建した時の手法もこちらの発想によると思われます。
先が読みやすいので、部外者でも再建はできます。
社内のしがらみにとらわれないので、むしろ、部外者の方がやりやすいのかもしれません。
とはいっても誰でもできるというわけではなく、カルロス・ゴーンの経験に裏付けられた実力も必要でした。
多くの戦略論はこちらの発想を好みます。
論理的ですので理論にしやすいからでしょうか?
一橋大学の伊丹教授も「業績とは到達すべきゴールをしめし、それをいかに達成するかの企業活動の基本方針を「あるべき姿」と「変化へのシナリオ」という形できめるのが戦略である」と述べています(新・経営戦略の論理 伊丹敬之著 日本経済新聞社 1984年10月 p29~30)。
業績目標(ゴール)が明確に定められ、そこへの到達の手段(「あるべき姿」と「変化へのシナリオ」)が戦略であるとしており、こちらの発想法で戦略を定義しているのが分かります。

 

目標達成のためのシナリオをいくつか挙げて、その中から最も合理的なものを選択する・・・一見論理的方法なのですが、重大な注意点があるとの指摘が(意外にも経済学の方から)あります。
こちらの方法は選択肢を列挙すれば、理性が最も合理的な選択をするという前提に立っています・・・・が、そうでもなさそうなのです。

ある患者の知的能力や社会的感受性、道徳観念を詳しく検査すると正常な結果が得られた。彼は仮説に基づく問題に適切な解答を考え、その結果を予想できるのだが、けっして決断を下せなかった。ダマシオは次のように結論した。この患者や同類の患者が決断を下せないのは、選択肢に情動的な重要性を結びつけられないからだ、理性だけでは決断できない、理性は選択肢を列挙するが、選択するのは情動なのだ、と(*66)。

意思決定の背景にはヒューリスティクがあり、理性と感情のダンスによって決定が下される、そして往々にして感情が理性に勝るということも考慮に入れておく必要があります。
(行動経済学 経済は「感情」で動いている 友野典男 光文社新書 2005年5月 p329-330参照)

 

私も「将来10年程度先を見込んで事業を展開せよ」と言ってはいるのですが、実際には、到達すべきゴールや変化のシナリオが明確に示せない場合もあります。
私は、論理型の戦略発想を、晴れた日のドライブと呼んでいます。
論理型の戦略発想の前提として「見晴らしが良い」ことが条件となっているからです・・・・しかし、闇夜のドライブもあるのです。

 

直感型(右脳型)
まず、成功方法に気づく(戦略が創発される)、論理型の発想法と出発点が逆さま、という点に注意して下さい。
そして、戦略は自己組織的に形成されていきます。
ミンツバーグは計画的戦略=論理的戦略を大戦略、創発的戦略を小さな戦略の束とみているのですが、私は創発的戦略には計画的戦略よりもむしろ大きい「一発逆転の戦略」があり、企業行動においてしばしば観察されると指摘している、という点にご注意ください。

安藤百福氏がアメリカのスーパー行った時のことである。百福氏はバイヤーにチキンヌードルの試食をお願いした。バイヤーはチキンヌードルを紙コップに入れてお湯を注ぎ、フォークで食べ始めた(日清食品HP参照)。

この時点で百福氏の頭の中でカップヌードルは誕生しました。・・・・ところで売上目標は?
気づきのあった時点で、成功のイメージはあったでしょうが、売上目標としては明確に設定できないと断言できます。
なぜならば、カップヌードルの市場はまだ存在していません。
存在していない市場は分析できないのです。
パーソナル・コンピューターは毎年数億台出荷されているのですが、IBMの創立者であるトマス・ワトソンは、「コンピュータなんて数台あれば十分だろう」という予測をしたそうです(ブラック・スワン下 ナシーム・ニコラス・タレブ著 望月衛訳 ダイヤモンド社 2009年6月 p11-12参照)し、CDプレーヤー、バーコードスキャナー、医療などその驚くべき応用範囲に比べ、レーザーは開発当初、何に使うか見当もつかなかった(SYNC スティーヴン・ストロガッツ著 早川書房 2005年3月 p166参照)のです。

 

さて、いま現在はどうかというと、日清食品(正確には日清食品ホールディングス株式会社)のIR情報をみると、翌期の売上目標が明確に記載されています。目標は、目標に近づくほど具体的となり、論理型(左脳型)へと移行していくのです。
直感型の戦略発想は、時と場所を選びません。
会議室で生まれることもあれば、電車の中や公園で生まれることもあります。
そして、時の経過とともに具現化していきます。
つまり、戦略自体が自己組織的に形成されていくのです。

 

気づきに秩序はありません。
いつ気づくか、誰が気づくか、どこで気づくか予測不能です。まるで出題範囲のない試験のようなもので、試験日も、試験場も決まっていません。
気づいた時点では、気づきの採点さえも不能なのです。
以下は安藤百福氏の発想の採点結果です。
採点したのはシリコンバレー・・・シリコンバレーが最大級の感謝の意を表しています。

Silicon Valley has lost one of its own: Momofuku Ando, the
inventor of instant ramen and Cup Noodles, died Jan. 5 in Osaka, Japan, at 96.
Although Ando never designed a circuit or built a computer, Silicon Valley owes
him a debt of gratitude — over the years, his instant ramen has sustained
countless teams of manic hackers working far into the night at countless
start-ups.
http://www.siliconvalley.com/シリコンバレーはもはやシリコンバレーの一部ともいえる安藤百福を失った。・・・・・シリコンバレーは彼に感謝の気持ちを表さずにはいられない。幾年にも渡り、彼のインスタントラーメンは、夜中まで働き続ける、偏狭なハッカーを支え続けてくれた。

直感型の戦略発想はカオス的な動きをすることがあります。
バタフライ・エフェクトは予想できません(予想できないからバタフライ・エフェクトなのです)。

 

見えないものを見る
安藤百福氏はバイヤーがチキンヌードルを紙コップで食べるのを「見て」カップヌードルを思いついつきました。
目の前で、実際に食べているのだから、これほどビジュアルなことはありません。
実際に製品化され、市場に出回っているカップヌードルの姿を映像として思い浮かべ、さぞかし興奮されたことかと思います。
それでは、なぜ安藤百福氏が、カップヌードルに気づき、バイヤーは気づかなかったのでしょうか?
関心(問題意識、興味)がなかったからです。
バイヤーは、既に出来上がった完成品を評価して売るのが彼の商売です。東
洋のまだ得体の知れないインスタントラーメンを、カップに詰めて売ろうなどとは夢にも思わなかったに違いありません。
関心がないと「見えていても見えない」のです。

 

スチュアート・カウフマンは次のように言っています

・・・この世界がわれわれのすぐ目の前に素っ気もなく存在していても、それを見るための問いを持ち合わせていないということなのかもしれない。スペインの船隊がカリブ海の島に初めて姿を現したときの原住民のとった反応についての伝説がある。文字通り伝説にすぎないかもしれないが、船という概念をもっていなかった彼らには、船隊は見えなかったというのだ。
(カウフマン、生命と宇宙を語る スチュアート・カウフマン著 河野至恩訳 日本経済新聞社 2002年 6月 p145)

答えは問いを待っているのですが、関心がないとすぐ目の前にあっても見えません。本当に見えないのです。