進化論というアイデア

ダーウィンの進化論
複雑系の研究の第一人者であるスチュアート・カウフマンが、ハクスリーの言葉を引用し、進化論に関して次のように言っています
進化に関して面白いのは、誰もが自分はそれを理解していると思っていることである。私はそうではない。まだ理解していない。・・・・
(カウフマン、生命と宇宙を語る スチュアート・カウフマン著 河野至恩訳 日本経済新聞社 2002年 6月)p144

 

百家争鳴(ひゃっかそうめい)は経営戦略論だけかと思いましたら進化論も百家争鳴のようです。様々な人々が各人各様の説を展開していますので、あれやこれやと進化論の本を買い込んで読み出しますと、進化論の混乱ぶりが見えてきます。進化論の大きな柱は変異と自然選択の理論なのですが、分子生物学の研究成果として遺伝子の解明が進んだことから、遺伝子の持つ情報伝達という側面が重視され、むしろこちらの方が主役となっているかもしれません。ある生物学者によると、現存する生物は遺伝子のコピーのための、遺伝子の「乗り物」にすぎないという主張もあります。(利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス著 日高敏隆他訳 紀伊国屋書店 2006年5月)
しかし、戦略論は両親から頂いた「素晴らしい乗り物」が繰り広げる、生き生きとした人間絵巻に関する記述です。たぶん、この生物学者が事業を始めたとしても、事業で成功するとはとても思えません。

 

理論の混乱は戦略論だけで十分です。そこで、進化論の本家本元であるダーウィンの進化論へと原点復帰することといたします。

ダーウィンの「種の起源(The Origin of Species)」は1859年に初版が発行されました。日本語訳としては岩波文庫の「種の起源」が有名ですが、もともと原書には図がほとんどありません。「図説種の起源」(東京書籍㈱)には「図説」と銘を打っているように「図」が豊富に載っており、またリチャード・リーキー博士の丁寧な解説も付ついていますのでこちらの方がお勧めです。

私の周りの経営者はほとんど誰も「種の起源」を読んでいません。よほど進化論に興味のある方でない限り、皆さんもお読みになっていないと思います。実は私も、まさか戦略論を研究して「種の起源」を読むとは思っていませんでした。
「種の起源」は全部で13章ありますが、進化論の根幹をなす、生物の「変異」と「自然選択」についての基本理論は1章~4章で述べられています。
アダム・スミスシュンペーター、ハイエクについて触れましたが、やボストン・コンサルティング・グループの創設者であるブルース・ヘンダーソンが「ダーウィンは、経済学者というよりビジネスにおける競争のよい指揮官といったほうがよいだろう」といっています。(ウォートンスクールのダイナミック競争戦略 ジョージ・デイ/デイビッド・レイブシュタイン編 小林陽太郎監訳 東洋経済社 1999年10月 p167)そこで1章~4章までを要約しました。

まずは時代背景から
進化とは、生物が長い時間をかけて変化し、姿かたちがもとの種とは違った生物と変わっていくことをいいます。「ヒトはサルから進化した」といわんばかりに、体がサルで首から上がダーウィンという風刺画があります。ヒトとサルが共通の祖先をもつということは、進化論を聞いた人でしたらなんとなく理解できるでしょうが、進化を信じない、むしろ進化を否定するような社会背景の下で、進化論を提唱することは大変な苦労であったと思われます。
人はなぜ人として生まれてくるのか?という疑問は人類共通の疑問のようです。どこの国にも天地創造や人類誕生の神話があり、どの神話でも天地や人類は神が造ったこととされています。天地創造を信じる人に「ヒトはサル(のようなサル)から進化した」といっても一笑に付されることでしょう。ダーウィンが進化論を提唱した当時のヨーロッパはキリスト教一色で、進化論は「全ての生物は神が創造した」とするキリスト教の教義に正面から対立するものでした。全ての生物は神が創造したのであり、進化などありえないというのが当時の常識でした。生物が進化する・・・この大発見を著したのが「種の起源」です。

第1章 飼育栽培による変異
この章では生物の変異と人為選択について述べています。ダーウィンは生物が変異するということを証明するために、馬や、犬、イエバト農作物などを例にとり、育種家の手によってじつにさまざまな品種を作り出していることを指摘することから始めました。小さな差異でも、経験をつんだ人が世代をかさね、その差異を一定の方向に蓄積させれば大きな改良をすることができる、このように人間が自分たちの役に立つ方向に品種改良していくことを人為選択といいます。
(図説種の起源 ダーウィン著 リチャード・リーキン編 吉岡晶子訳 東京書籍1997年11月)

第2章 自然界のもとでの変異
前章では飼育動物や栽培植物での変化について述べていますが、このような変化が自然の状態でも起こっていると主張します。
まず個体差が生じ、この個体差が軽微な変種となり、その変種が亜種となり、さらに種につながっていくというように自然界での変化の仕方を説明しています。
(生物の形態を決めるのは、細胞の設計図ともいえる遺伝子 (DNA)です。設計図の情報、つまり遺伝情報は細胞から細胞、世代から世代へと概ね正確に引き継がれていきますが、遺伝情報は時々気まぐれに変化します。これを突然変異といいます。今日では生物が変化するということは遺伝子の突然変異によって説明されています)

第3章 生存競争
マルサスの人口論は、人口は幾何級数的に増加するので、食料の増産が追いつかなくなり、それを是正する力、つまり飢饉や戦争、病気といった「積極的な妨げ」、あるいは晩婚化など出産の制限といった「予防的な妨げ」によって人口の増加を抑制する力が働くというものです。ダーウィンはマルサスの人口論をあらゆる動物や植物にあてはめました。
なお、ダーウィンと同じ時期に、まったく違う場所で進化論を発見したウォレスも「人口論」から示唆を受けています(パンダの親指上 スティーヴン・ジェイ・グールド著 櫻町翠軒訳 早川書房 1996年8月 p65)。
さて、ダーウィンはどの生物も幾何級数的増加の法則によって「その数がたちどころに多くなりすぎ、どんな地域でもその膨大な個体数を維持しきれなくなる」としています。そして生存可能な個体数以上に個体がうまれるので「必ずや生存競争が生じ、同じ種の個体どうしや異なる種の個体どうしのあいだで、あるいは生息条件そのものを相手に、生き残りをかけて競争しなければならない。」としています(図説種の起源 ダーウィン著 リチャード・リーキン編 吉岡晶子訳 東京書籍1997年11月 p47 文中闘争とあるのを競争に改めている)
ここで、ダーウィンは生存競争という言葉を、「生物はほかの生物に依存して生きていること、そして―――この方が重要だが―――個体が首尾よく生存するだけでなく子孫も残すことも含めて、広義の比喩的な意味で使っている」としています。(図説種の起源 ダーウィン著 リチャード・リーキン編 吉岡晶子訳 東京書籍1997年11月 p46 文中闘争とあるのを競争に改めている)

第4章 自然選択、あるいは適者生存
自然界で育種家の役割をするのが、自然の環境です。生物の進化のキーワードで特に重要なのが自然選択でダーウィンの進化論の根幹をなすものです。
さて、生物は自然においても変化し、また、生存可能な個体数以上に個体が生まれ生存競争が生じます。そこで、生物におきた変化が、厳しい自然環境を生き抜く上で、固体にとって不利ならば切り捨てられ、不利でないもの、つまり生存に有利なものか中立的なものは生き残ってその変化が残るとしています。つまり自然選択とは自然界に起こる生物の変化に、自然の環境に適合する方向で、方向性を与えるというものです。
この自然選択は、太古の時代(今では生命が地球に誕生したのが約40億年前だとわかっています)から積み重ねられてきました。
ダーウィンは「だからこそ、〈自然〉の産物は人間の産物よりもはるかに「純種の」形質をもつはずであり、〈自然〉の産物は人間の産物よりも、きわめて複雑な生育条件にも限りなく適応を示し、はるかにすぐれたわざの出来ばえを示しているはずである」といっています。
・性選択
ダーウィンは自然選択のほかに、雌雄に特有の性質が現れることを性選択で説明しています。
オスの孔雀の尾羽は長すぎて、生存には不利なようにみえます。これは孔雀のメスが立派な尾羽をもったオスを選択することによって長い尾羽が種に固定されたものです。このような異性による形質の選択を性選択とよんでいます。
ライオンは攻撃に十分な牙と爪を持っていますので、ライオンを襲う動物などいません。オスのライオンが長いたてがみを持っているのは、メスをめぐるオス同士の戦いの防御のためです。このようなメスをめぐるオス同士の戦いも性選択に含まれます。
なお、広義には性選択も含めて自然選択とよばれています

種の起源の要約は以上ですが、ここでいくつかの特記すべき事項を挙げてみたいと思います。

ラマルクの進化論
企業はラマルク的に変異しますので、ラマルクの進化論につても触れてみたいと思います。
進化とは生物集団の遺伝的形質が世代交代を繰り返しながら変化していくことを意味しますが、実はダーウィン以前にもいくつかの進化論が提唱されていました。そのうち最も代表的なのが、フランスの博学者ラマルク(1744年~1829年)です。ラマルクは1809年に著した「動物哲学」で、生物は自然がつくりだしたものであり絶えず変化してきた、と基本的に現代の進化論に通じる考えを明確に述べています。ラマルクは進化を起こす原動力として「用不用説」と「獲得形質の遺伝」をあげています。(新進化論が変わる 中原英臣 佐川峻著 講談社 2008年4月p88 )

用不用説
体のある器官がよく使われると発達し、逆に使われないと退化して小さくなるというものです。つまり、キリンの首は高い木の葉を食べるために首を伸ばしたから長くなったというものです。
獲得形質の遺伝
よく使われる器官は発達しますが、その発達した器官が子供に遺伝されなければ種の変化はおこりません。そこでラマルクは、親が獲得した形質は子供に遺伝すると考えました。
首を伸ばして首が長くなったキリンの子は、親に似て首が長くなるというものです。

先ほども述べたようにダーウィンの「種の起源」には挿絵がほとんどありません。「図説種の起源」には挿絵が豊富に載っており、編者リチャード・リーキーによる解説もついています。
ダーウィンも変異に関してラマルクと同じ考えを持っていたようです。リチャード・リーキーは解説で用不用説(そしてこれから導きだされる獲得形質の遺伝)を否定しています。

ダーウィンの記述
習性が変わると、その影響が遺伝で受け継がれるが、動物の場合は、世代が進むにつれて体のある部分がますます使われるようになったり、あるいは使われなくなったりすると、その影響がきわだって現れる。たとえば、家禽のアヒルは野生のカモに比べて、全体の骨格のわりに、翼の骨が軽く、脚の骨が重い。この違いは、アヒルのほうがあまり飛ばなくなり、歩くことが多くなったせいと考えてさしつかえないだろう。ウシやヤギの乳をしぼる習慣のある地域の場合、ウシやヤギの乳房が、そのような習慣のない地域の場合に比べて、大きく発達している。遺伝で受け継がれるこうした大きな乳房も、使うことによる影響の例と考えられる。どの地域にも耳の垂れた家畜がいるものだが、耳が垂れているのは、家畜はあまり警戒する必要がないので、耳の筋肉を使わないせいだとする見方もある。
(新版 図説種の起源 チャールズ・ダーウィン著 リチャード・リーキー編 吉岡晶子訳 東京書籍 1997年11月 p24)

リチャード・リーキーの解説
ある個体が後天的に獲得した形質はその子孫に伝えられない。ダーウィンは、用不用(体のある部分を使ったり使わなかったりすること)によって生じる結果は遺伝すると考えていたが、これは誤りである。もっとも、彼は獲得形質が遺伝によって継承されるという考え方が自分の学説の本質に不可欠だとはみなしていなかった。『種の起源』の初版では、この間題にあまり重点をおいていない。のちにこの間題をことさらに取りあげるようになったのは、偶然に起きた変異が積み重なっただけで生物がこれほど進化してきたとは、時間的にみて考えられないという批判に答えるためであった。
(新版 図説種の起源 チャールズ・ダーウィン著 リチャード・リーキー編 吉岡晶子訳 東京書籍 1997年11月 p24)

企業(そして経済)はラマルク的に変異すると言いましたが、企業に働く選択の力はダーウィンのいう「人為選択」です。企業がラマルク的に変異しても「人為選択」の痛烈な洗礼を受けるということは、企業家の方でしたら骨身にしみてお分かりになるかと思います。
この「人為選択」の選択基準はかなり予測困難です。キリンが首を長くしたくても「首の長い動物は嫌い」という人間の気まぐれだけで切り捨てられかねません。ある意味、自然選択よりも多様かもしれません。そして、自然選択よりもはるかに流動的です。

自然選択という独創性
さて、それではなぜラマルクの説は否定され、ダーウィンの「種の起源」が刊行されてから150年以上も経過した現代でも、燦然として輝いているかといいますと、進化の原動力は「自然選択」とした独創的な点にあるのです。

余談です・・・ある経営者に生物の増加の話をしましたら、「サンマは10年で銀河系を埋め尽くす」と言ってられましたので、実際に計算してみることにしました。
サンマの1回の産卵数は2万以下と魚の産卵数にしては少ないようです(マイクロソフト エンカルタ総合大百科2008)、ちなみにコイですと1回に数十万、マンボウでは1回の産卵数が3億にもなるようです。
サンマの1回の産卵数を2万とします。そのうちの何匹がメスか分かりませんのでフィッシャーの性比理論に従ってそのうちの半分の1万がメスとします。寿命は1年(実際には2年程度 (朝日新聞社ホームページ(http://www.asahi.com/science/news/TKY200610130146.html)最終アクセス平成20年7月19日)、全てのメスは生涯で1回産卵するとします。産卵した卵は全て孵化し、成長して産卵するまでは1匹も死なないとします。
1年で増えるサンマは2万匹、翌年には2万匹の半分(=1万匹)のメスがそれぞれ2万匹のサンマを生みますので2億匹となります。
10年繰り返すと2×10000の10乗匹となります。
ふだん使い慣れていませんのでこの数字がどれほど大きいのかわかりません。数式には2と10000と10しか使われていないからです。大きいような気もいますし、たいして大きくないような気がします。そこで0をつけてみることにします。
20,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000匹(0が40個ついています)
これを漢字では2正匹と書くようですが「正」の単位なんか見たことも、聞いたこともありません(調べてみてはじめてこんな単位があるのを知りました・・・「正」の前後の単位を言える人は、ほとんどいないのではないでしょうか?)。
さて、2正匹のサンマの数はピンときませんので地球の重さ(正確には地球では質量というようです)と比べてみます。
小さな驚きですが、けさ私がスーパーで買ってきたサンマは2匹で1グラムも違わずに正確に350グラムありました。買ってきたサンマがオスかメスかはわからないのですが、サンマの重さはオス、メス2匹で350グラムとして計算します。
10年経過したサンマの重さは3.5×10の36乗トンになります。ちなみに地球の重さは5.97×10の21乗トンです(マイクロソフト エンカルタキッズ百科2008)ので・・・この段階で、サンマの重さが地球の何倍になっているかというと・・・

3.5×10の36乗トン÷5.97×10の21乗トン=586兆倍

と10年で地球の重さの586兆倍になります。まだピンときませんので太陽と比較します。太陽は地球の33万倍の重さですので・・・10年でサンマの重さは太陽の17億7千万倍となります。
・・・ここで安心してはいけません。この重さは年間1万倍ずつ増えていき、11年目には太陽の17兆倍の重さとなります。
最近の中国とドイツの天文学者の共同研究によると銀河系の質量は太陽の2兆倍(中国科学院HP http://www.cas.ac.cn/html/Dir/2008/05/29/15/89/59.htm 最終アクセス平成20年7月23日)ですので、11年目にはサンマが重さで完全に銀河系を凌駕してしまいます。

しかも、10年というのは地質学的時間ではほんの一瞬です。地球誕生から現在まで46億年経っています。46億年を1年と換算しますと、10年は0.069秒にしかなりません。
自然は生命に驚異的な繁殖力を与えました。実際には、地球がサンマだらけにならないように生存競争による抑制作用がありこのようなことは起こりません。